社号 | 粟神社 |
読み | あわ |
通称 | |
旧呼称 | 大部天王社、あはど宮、粟堂 等 |
鎮座地 | 大阪府泉大津市式内町 |
旧国郡 | 和泉国和泉郡宇多大津村 |
御祭神 | 天太玉命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 当地での祭祀は廃絶 |
式内社
粟神社跡の概要
大阪府泉大津市式内町に跡地のある式内社です。明治四十一年(1908年)に神社合祀政策により「大津神社」(若宮町に鎮座)に合祀されました。
当社は宝亀七年(776年)に創建されたと伝えられ、忌部系の氏族である「粟氏」が祖神を祀ったとされています。
『新撰姓氏録』に見える和泉国神別の「穴師神主」(天富貴命の五世孫、古佐麻豆智命の後)は忌部氏の一族であるともいい、この氏族は近隣の豊中町に鎮座する「泉穴師神社」を奉斎したと見られることから、阿波国(現・徳島県)を拠点にして全国に移った忌部氏が当地付近にも居住したことが推測されます。
泉大津は古く「小津」と呼ばれた港町で、忌部系の氏族がここを拠点に阿波との交通を確保していたのかもしれません。
当地の小字を「アハド」といい、またかつては大きな神社だったと伝えられることもあり、当社が式内社「粟神社」であることに異論はありません。
現在の跡地はとても狭いものの、少なくとも合祀前までもっと広い敷地があったといい、さらには室町時代に建立されたとされる古い社殿が建っていました。(ただし江戸時代後期にはボロボロの状態だったともいう)
この社殿は合祀先の「大津神社」に移設されて現存し、泉大津市指定有形文化財に指定されています。
境内の様子
当社の跡地は紡績工場に隣接しています。泉大津市は国内産毛布の9割を製造しており、このような紡績工場が市内のあちこちにあります。
工場と畑との間にあるこの狭い通路を通っていくと…。
左側(西側)に工場の敷地にめり込むように当社「粟神社」の跡地があります。
小さな跡地ですが往時はもっと広かったようです。恐らく工場の敷地内もかつての境内だったのでしょう。
跡地には朱塗りの簡素な鳥居が北東向きに建っています。
跡地に二基の石柱が建ち、左側に「式内粟神社舊址」、右側に「南無妙法蓮華経…」と刻まれています。当地に日連宗の寺院もあったのでしょうか。
鳥居の両脇には何故か狛狐がありました。当社が稲荷系だったとする情報は見当たりませんがどういうことでしょう?狛狐自体は新しいもののようです。
跡地から畑を挟んだ向かいにのこぎり屋根の工場がありました。
近代に入ると泉大津にこのような工場が数多く建てられ、国内随一の毛織物の生産拠点として紡績産業を支えました。最新の設備の整えられた工場が増えた現代においては貴重な産業遺産と言えるでしょう。
由緒
案内板
泉大津ふるさと文化遺産
平成一八年一二月認定[認定四号]
粟神社跡
『和泉名所図会』
地図
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