社号 | 常世岐姫神社 |
読み | とこよぎひめ |
通称 | 八王子神社 等 |
旧呼称 | 八王子社 等 |
鎮座地 | 大阪府八尾市神宮寺 |
旧国郡 | 河内国大県郡神宮寺 |
御祭神 | 常世岐姫命 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月23日 |
常世岐姫神社の概要
大阪府八尾市神宮寺に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、漢系の渡来系氏族である「常世氏」が祖を祀ったのが当社とされています。
『新撰姓氏録』には左京諸蕃、右京諸蕃、河内国諸蕃それぞれに燕の国王、公孫淵の後裔であるという「常世連」が登載されており、この内で河内国に居住した集団が当社を奉斎したことが一説に考えられます。
『続日本紀』に「赤染氏」が「常世連」の姓を賜った記事がいくつか見られ、彼らは染色の技術者集団だったと言われています。
ただし当地に常世氏や染色技術者集団が居住していたという根拠はなく、当社が式内社とされた根拠も不明です。
江戸時代には当社は「八王子神社」と呼ばれ、現在でも地元ではそのように呼ばれているようです。
これは北隣の恩智中町に鎮座する「恩智神社」で当時「牛頭天王」を祀っており、その影響で牛頭天王の八人の御子である「八王子」を当社で祀っていたからとする説があります。
そしてどういうわけか当社は安産の神ともされており、境内を清めた箒で妊婦の腹部を撫でると安産になるとする信仰があるようです。
八王子を祀る神社で安産に験があるとする例は極めて珍しく、どのような経緯があってそのような信仰が生じたのか全くの不明です。
式内社「常世岐姫神社」が当社であるならば本来は「常世岐姫」なる女神を祀っていたはずで、或いはその伝承の痕跡が辛うじて残っていたのかもしれません。
また或いは、『倭名類聚抄』河内国高安郡に掃守郷があり、掃守氏は清掃と出産に関する職能を担ったともされているので、彼らの伝承が近隣の当地で受け継がれた可能性もあります。
いずれにしても、小さい神社ながら複雑な歴史がありそうです。
境内の様子
境内入口。鳥居が北向きに建っています。
真新しい社号標には江戸時代からの呼称である「八王子神社」と刻まれ、今でもそう呼ばれてることがわかります。
また「御産神」とも刻まれており、安産の神として信仰されています。
鳥居を潜り境内に入ると左手(東側)に手水鉢があります。
鳥居をくぐって石段を上ると社殿が北東向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺の平入入母屋造りで向拝の付いたもの。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で、部分的に赤で塗られ迫力があります。
拝殿には御祭神である「常世岐毘賣命」の額が掛けられています。安産の神ということで赤ん坊を抱いた姿で描かれています。
本殿は銅板葺の妻入切妻造。屋根に反りが無く、小型の住吉造にも見えます。もしかしたら覆屋なのかもしれません。
本社社殿の右側(西側)、境内の西端に「金刀毘羅大権現」が東向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
境内の南東隅には「白玉姫大明神」と「峯近大明神」の相殿が北向きに鎮座。
朱鳥居が建ち、奥に銅板葺・流見世棚造の社殿が建っています。
境内には大きなクスノキがあって御神木とされており、小さな境内において厳かさを醸し出しています。
当社における安産の祈願には箒を用いるとの由ですが、境内には箒は見当たりませんでした。この風習が今でも行われているのか気になるところです。
由緒
石碑
八王子神社
『河内名所図会』
地図