社号 | 鐸比古鐸比賣神社 |
読み | ぬでひこぬでひめ |
通称 | |
旧呼称 | 高尾大明神、比賣春日御前 等 |
鎮座地 | 大阪府柏原市大県 |
旧国郡 | 河内国大県郡大県村 |
御祭神 | 鐸比古命、鐸比賣命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 7月31日、10月15日 |
鐸比古鐸比賣神社の概要
大阪府柏原市大県に鎮座する神社で、式内社「鐸比古神社」および式内社「鐸比賣神社」を併せたです。生駒山地の南端近くにある高尾山の西麓に鎮座しています。
社伝によれば当社は成務天皇二十一年の創建で、古くは「鐸比古神社」は高尾山の山頂に、「鐸比賣神社」は山麓の姫山に祀られていたと伝えられています。
その後、いつの頃か両社共に現在地に遷座したとされていますが、その年代は延暦年間(782年~806年)とも中世であるとも元禄三年(1690年)とも言われておりはっきりしません。
当社の御祭神は社名からしても「鐸比古命」「鐸比賣命」を祀ることは明らかですが、この神は記紀やその他の資料に登場せず詳細不明です。
しかし現在では「鐸比古命」については、垂仁天皇の皇子であり「和気氏」の祖である「鐸石別命(ヌデシワケノミコト)」と同一であるとする説がある程度の支持を得ています。
『新撰姓氏録』によれば右京皇別に垂仁天皇の皇子、鐸石別命の後裔であるという「和気朝臣」が登載されています。
ただ、和気氏は備前国和気郡(現在の岡山県南東部)を本貫とする氏族であり、『新撰姓氏録』には河内国に和気氏やその同族の登載は無く、他の資料においても河内国に和気氏が居住していた痕跡は見当たりません。
当社や当地と和気氏を結びつける必然性は極めて乏しく、「鐸比古命」と「鐸石別命」を同一とすることに否定的な説も有力です。
また参考までに、『古事記』国生みの段で小豆島の別名として「大野手比売(オオヌテヒメ)」なる神が登場しており、当社は或いはこの神と関係するのかもしれません。
社名や神名にある「鐸」とは古くは「さなぎ」とも読み、これは祭祀に用いられる鉄製の鈴のことで、また弥生時代の銅鐸をも指したとも言われています。
このことから当社は銅や鉄などの金属の生産に携わった人々が金属生産の守護神を祀ったことが考えられます。
大県郡の式内社には当社の他にも青谷地区の「金山彦神社」や雁多尾畑地区の「金山媛神社」といった金属に関する神社があり、また高井田地区に鎮座する「天湯川田神社」を奉斎した「鳥取氏」も製鉄に携わっていたとする説があります。
これらと関連して旧・大県郡は金属生産の一大基地となっていたとも考えられ、これを証するように当社と程近い大県遺跡からは奈良時代頃の鍛冶炉や鉄滓(製鉄の際に生成される不純物)などが検出されています。
また和気氏についても、和気清麻呂など優秀な政治家の印象が強いですが、本来は製鉄を行ってきた氏族と考えられています。
祖である「鐸石別命」もやはり「鐸」との関係が考えられ、また和気氏の前身である「磐梨別氏」も「磐」とは岩石のように硬い金属のことを指すと言われており、製鉄に携わってきたことが表れています。
記録の上では当地に和気氏が居住していた痕跡は見えませんが、その一族が当地で金属の生産を行っていたとしても決して不思議ではないでしょう。
なお、先述の通り当社は高尾山の山頂に鎮座していましたが、現在も高尾山頂近くの岩場に奥宮が鎮座しています。
奥宮の周辺には古墳時代後期に築かれた「平尾・大県古墳群」があり、或いは当社を奉斎した人々がそこに葬られたのかもしれません。
境内の様子
一の鳥居は境内の西方約250m、国道170号に面したところに西向きに建っています。鳥居越しに奥宮のある高尾山が見えます。
鳥居からしばらく進んでいくと石段があり、ここが境内入口となります。
石段の上に社殿等の建つ主要な空間が広がっています。
秋にはこのように美しい紅葉が広がり、そこに渋い素木の両部鳥居や石垣の上の社殿、周囲の木々がバランスよく配され、見る者を恍惚とさせる美しさを醸し出しています。
社殿は正面から見ても美しいです。左右の紅葉がよく映え、まさに大阪の隠れた紅葉の名所でもあります。
二の鳥居にあたる両部鳥居、および後方の石垣の上に建つ社殿などは西向きに建っています。
境内の左側(北側)に手水舎があります。
石段の上に建つ拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造に銅板葺の唐破風の付いたもの。
この奥にある本殿は見ることができませんが、拝殿内には中央の扁額に「鐸比古大神 鐸比賣大神」、左側の扁額に「春日神社」、右側の扁額に「猿田彦神社」とあります。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製で、下から見上げるとふんぞり返ってるような印象です。
社殿下の左側(北側)に二社の稲荷系の境内社が西向きに鎮座。
二基の朱鳥居が建ち、奥に銅板葺の一間社流造の朱塗りの社殿が左右に並んでいます。
麓とはいえ結構坂道と石段を上るので、境内からはなかなかの良い眺め。
奥宮へ
さて、当社境内の右脇(南側)から背後の高尾山方面へ登れる登山道があります。
ここから奥宮を目指しますが、いくつかの分かれ道があり迷いやすいので、事前に案内掲示板の地図をカメラやスマホ等で撮影しておくと良いでしょう。
しばらく登っていくと、分かれ道に「鐸比古大神」の額のある縦に細長い鳥居が建っているのでそちらの道を進んでいきます。
高尾山の山頂近くは岩がゴロゴロとしています。本格的な岩場なので軽装だとやや危険です。それなりの装備を身に着けておくことを推奨します。
しばらく岩場を進んでいくと小さな黒い祠があり、これが鐸比古鐸比賣神社の「奥宮」です。
恐らくこうした岩々が磐座となっていたのでしょう。
奥宮からは大阪平野を一望でき、非常に素晴らしい眺めを楽しむことができます。
ちなみに道を間違えるとこんなとんでもない岩場で途方に暮れることになります。
とはいえ、この地にこんな岩場があると知れただけでも道を間違えた甲斐があったとも言えるかもしれません。
古代人が岩石を神の宿るものと見立てて神を祀るのもよくわかる地と言えます。
高尾山の頂上近くには「平野・大県古墳群」と呼ばれる古墳時代後期の群集墳があります
多くに横穴式石室が開口しており、これらの石も周辺の岩場から採られたものと思われます。
これらの古墳は当社を奉斎し製鉄を行ってきた人々に関わるものなのかもしれません。
御朱印
由緒
石碑
鐸比古鐸比賣神社御縁起
『河内名所図会』
地図
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