社号 | 石神社 |
読み | いわ |
通称 | |
旧呼称 | 熊野権現 等 |
鎮座地 | 大阪府柏原市太平寺 |
旧国郡 | 河内国大県郡太平寺村 |
御祭神 | 石姫皇女 (配祀)石長姫命、熊野権現 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月19日 |
式内社
石神社の概要
大阪府柏原市太平寺に鎮座する式内社です。
当社の創建や由緒は詳らかでありません。またどのような氏族がどのような神を祀っていたのかも不明です。
現在は御祭神として、宣化天皇の皇女であり欽明天皇の皇后である「石姫皇女」を祀っており、また木花開耶姫命の姉である「石長姫命」を配祀していますが、特に関連する伝承等は見られず、社名からの付会と思われます。
生駒山地南端の西麓に立地する当社は、社名から推して恐らく当地にあった岩盤を磐座として祀ったことが考えられます。
しかし現在の境内には特に磐座らしきものは見当たりません。
或いは近隣の大県地区に鎮座する「鐸比古鐸比賣神社」のように山上の岩場を神域として祀っていたのかもしれません。
柳田国男の『石神問答』では式内社における「石神」の例の一つとして「河内高安郡石神社」を挙げており、ここにいう「高安郡」は「大県郡」の誤りで、これは当社を指していると考えられます。
柳田翁は各地で見られる「シャクジン」の根源の一つと捉えていたようで、そうなると境の神、道祖神的な神格が当社にあったことも考えられるでしょう。
当地は生駒山地の南端であり、大和川沿いの狭い渓谷から広い平野の開けるところであることから、ミサキ神としても考えられるかもしれません。
いずれにせよ当社の来歴は全く不明です。
しかし当社付近に古代寺院の「智識寺」があったこと、巨大なクスノキがあること等から、当地における信仰の歴史はかなり古くからのものと考えられます。
謎に満ちていながらも、端々に悠久の歴史を感じることのできる神社と言えましょう。
境内の様子
当社の境内入口にはとてつもなく巨大な迫力あるクスノキが聳え立っています。
このクスノキは樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっています。
クスノキを横目に石垣の上へ上ると、境内はいくつかの区画に分かれていることに気が付きます。
手前側に低い空間、その先に西向きの鳥居の建つやや小高い空間が広がっており、さらにその奥に社殿へ続く石段が長く伸びています。
境内手前の「面」的な広がり、境内奥の「線」的な奥行きというような、対照的な空間が印象的です。
鳥居をくぐって奥へ進み、「面」的空間から「線」的空間へ。境内奥の石段を上っていきます。
鬱蒼とした森となっており、いよいよ本格的に神域であると印象付けられます。
石段の途中、左側(北側)に手水舎があります。
さらに石段を上って社殿の建つ空間へ。社殿は狭い空間に西向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。
拝殿前に配置されている狛犬。紅白の前掛けが印象的です。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の一間社流造で、塀で囲まれています。
塀の見えない部分にもしかしたら磐座があったりするのでしょうか。そういった資料は見当たらないので恐らく無いのでしょうが…。
社殿から下の広場へは別ルートの参道があり、一方通行で参拝することができます。初詣等の多客期にも対応できることでしょう。
当社付近に飛鳥時代に創建された古代寺院「智識寺」があったとされています。
当社境内には智識寺の東塔に使用された礎石が置かれています。
案内板
智識寺跡
案内板
大阪府指定文化財
知識寺東塔刹柱礎石
当社の近くに「清浄泉」と呼ばれる井戸があり、生駒山地から湧くこの清水は土地の人の飲用水として利用されています。
岩盤の節理によって湧き出てるようで、石神社の信仰にも関わるかもしれません。
今では蛇口の付いた近代的な設備となってるものの大阪府指定史跡となっています。
案内板
清浄泉(浄井戸)
石神社の周辺の太平寺地区は、重伝建かと見紛うような美しく素晴らしい、古い町並みが残っています。
生駒山地の斜面に石垣を積み昔ながらの家屋や蔵の建ち並んだ様子は実に見事です。
都市近郊の貴重な景観であると言えることでしょう。
付近はブドウ畑も広がっています。
柏原市を含む中河内・南河内はブドウの一大産地で、特にデラウェアという品種の生産量は全国有数です。瀬戸内海式気候特有の降水量の少なさ、日照時間の多さがブドウの栽培に適しているようです。
由緒
河内名所図会
地図