社号 | 波牟許曽神社 |
読み | はむこそ |
通称 | |
旧呼称 | 大杜天神 等 |
鎮座地 | 大阪府東大阪市長瀬町 |
旧国郡 | 河内国渋川郡北蛇草村 |
御祭神 | 天照皇大神、伊弉那岐大神、伊弉那美大神 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月22日 |
波牟許曽神社の概要
大阪府東大阪市長瀬町に鎮座する式内社です。明治四十年(1907年)に衣摺地区に鎮座する「長瀬神社」に合祀されましたが、昭和五十一年(1976年)に旧地に復興しました。
当社の創建・由緒については詳らかでありません。
社名の「波牟(ハム)」とは「蛇」を意味する古語と考えられ、現在でも蛇を「ハム」「ハメ」と呼んでいる地域があります。
「許曽(コソ)」は「社」「森」などを表す語で、朝鮮半島由来の言葉とも言われています。同様に「コソ」と付く近隣の式内社に、大阪市東成区東小橋に鎮座する「比売許曽神社」、大阪市東住吉区矢田に鎮座する「阿麻美許曽神社」などがあります。
他地域でも西日本を中心に「コソ」と付く神社や地名があり、それらは古くからの神域や森だったことが考えられます。
上記を踏まえれば当社の社名「波牟許曽」とは「蛇の社」「蛇の森」といった意味を表し、蛇を祀る神社だったことが想像されます。当地の旧地名「蛇草(ハグサ)」も当社の社名によるものでしょう。
しかし現在では特に蛇に関する伝承は伝えられていないようです。ただ、境内社として多くの龍神が祀られており、或いはこれらに古い信仰が継承されている可能性も考えられます。
当地は旧大和川に沿った地で、かつては河内湖の河口とも近いところだったと思われます。とすれば、しばしば荒れ狂い氾濫した旧大和川の様子を蛇に見立てて祀ったのが当社だったのかもしれません。
境内の様子
境内入口。近鉄長瀬駅の近くの狭い道沿いにあります。
境内は南側の辺が斜めになっている台形で、一の鳥居は南東向きに建っています。
鳥居をくぐると石畳の参道は北に延び、途中右側(東側)に手水舎があります。
参道途中に二の鳥居が南向きに建っています。
さらに参道を進むと正面奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入切妻造で、神明造のように反りの無い屋根となっています。
本殿は銅板葺の平入切妻造で、これまた神明造に似た高床式倉庫のような形式となっています。
本社本殿の左側(西側)に二社の境内社が南向きに鎮座しています。左側(西側)に「天鈿女命」、右側(東側)に「猿田彦大神」が祀られています。
いずれも木造の鳥居が建ち、後方に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
本社社殿の右側(東側)には「素戔嗚尊」を祀る境内社が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の一間社流造。
この境内社の手前側に「松龍大神」を祀る境内社が西向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
本社社殿前の右側(東側)には他にも多くの境内社が鎮座しており、多くは龍神を祀っているようです。
まず社殿に近い方(北側 / 写真左)から順に次の神を祀る三社の境内社が西向きに並んでいます。
- 「榎龍神」「神明龍王」「縞姫龍神」
- 「子守勝手明神」
- 「白光大明神」
いずれも鳥居が建ち、奥に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
白光大明神の右隣(南側)に「御神水」と書かれた札のある井戸があります。覆屋が建てられ鍵が掛かっており汲むことはできません。
御神水の右隣(南側)に「白龍大神」を祀る境内社が西向きに地鎮座。
同様に鳥居が建ち、後方に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
このように当社に龍神が多く祀られるのは、或いは古く「蛇の社」とされたからでしょうか。
参道を挟んで御神水の向かい側(西側)に「おもかる石」があります。おもかる石とは、願を掛けながら石を持ち上げ、軽く感じれば願いが叶うというものです。
当社が「蛇の社」と知ってか知らずか、猫が祠にもたれかかってくつろいでいました。
由緒
案内板
波牟許曽神社由緒
地図