社号 | 阪合神社 |
読み | さかあい |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府八尾市小阪合町 |
旧国郡 | 河内国若江郡小坂合村 |
御祭神 | 瓊瓊杵尊、彦火火出見尊 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月12日 |
阪合神社の概要
大阪府八尾市小阪合町に鎮座する式内社です。明治四十年(1907年)に南本町に鎮座する「矢作神社」に合祀されましたが、昭和三十二年(1957年)に再び独立し旧地に復興しました。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社名や地名から推して当地に居住した「坂合部氏」が祖神を祀ったと考えられます。
『古事記』には神八井耳命を祖とする数多くの氏族の中に坂合部連を記しています。また『新撰姓氏録』に次の五氏が登載されています。
- 大和国皇別「坂合部首」(大彦命の後)
- 摂津国皇別 「坂合部」(大彦命の後 / 允恭天皇の御世、国境の標を造立したことにより坂合部連の姓を賜る)
- 左京神別 「坂合部宿禰」(火明命の八世孫、迩倍足尼の後)
- 右京神別 「坂合部宿禰」(火闌降命八世孫、迩倍足尼の後)
- 和泉国神別 「坂合部」(火闌降命七世孫、夜麻等古命の後)
このように「坂合部」を名乗る氏族は1.2.の皇別と3.4.5.の神別の二系統があったことがわかります。
2.に国境の標を立てた旨が記されているように、これらの氏族は境界の裁定・管理等を担ったことが考えられます。
『新撰姓氏録』には河内国に登載されていませんが、当地にもいずれかの系統の坂合部氏が居住していたのでしょう。
ただ当地が特に何らかの境界だったようには思えません。或いは古くはまた事情が違っていたのでしょうか。
一方、当社が坂合部氏の祖神を祀るならば御祭神は「神八井耳命」「大彦命」「火明」「火闌降命」等となるはずが、実際はどういうわけか「瓊瓊杵尊」と「彦火火出見尊」を祀っています。
火闌降命の父が瓊瓊杵尊、弟が彦火火出見尊となるため神別の坂合部氏と無関係とは言えないとはいえ微妙なズレがあります。
当地の坂合部氏の伝承なのか、長い歴史の中で錯綜があったのか、それとも全く別のところに由来があるのか。気になるところです。
境内の様子
境内入口。鳥居が西向きに建っています。
周囲は完全に住宅に囲まれており、住宅地の一画の公園といった雰囲気があります。
鳥居をくぐると石畳がまっすぐ伸び、奥に社殿が西向きに並んでいます。
拝殿は真新しい建築で、桟瓦葺の平入入母屋造に向拝の付いたもの。
境内には手水舎等の設備は無く、簡素を極めています。
本殿は銅板葺の流造で、拝殿後方にブロック塀に囲まれて建っており、何故か千木が内削ぎになっています。
本社社殿の左側(北側)に「鳴戸神社」が南向きに鎮座。御祭神は「豊玉姫命」。
豊玉姫命は本社祭神の彦火火出見尊の妻ですが関係があるのかは不明。各地で雨乞いの神として豊玉姫命が祀られる例もあるのでそちらの可能性もあるかもしれません。
境内は方形の区画に社殿と境内社が建つのみで、やや物寂しい印象があります。
しかし一旦合祀されながらも復旧し、旧地での祭祀が再開されただけでも素晴らしいことでしょう。
由緒
石碑
式内社 阪合神社 二座
『河内名所図会』
地図
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