社号 | 伊達神社 |
読み | いたて / いだて |
通称 | |
旧呼称 | 園部神社、一宮大明神、牛頭天王 等 |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市園部 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡園部村 |
御祭神 | 五十猛命、神八井耳命 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 10月13日 |
伊達神社の概要
和歌山県和歌山市園部に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、「志磨神社」(中之島地区に鎮座)、「静火神社」(和田地区に鎮座)と共に古くから「紀三所社」と称して祀られてきました。
この「紀三所社」については永承三年(1048年)の記録にも見えることから、かなり古くから称されていたことがわかります。
「紀三所社」はスサノオの御子神である「イタケル」「オオヤツヒメ」「ツマツヒメ」をそれぞれ祀るからそう称するとする説もあるものの、これは当社でイタケルを祀ることを除いて全く当てはまらず、妥当とは言えません。
「イタケル」「オオヤツヒメ」「ツマツヒメ」の三兄妹についてはそれぞれ「伊太祁曽神社」(伊太祈曽地区に鎮座)、「大屋都姫神社」(宇田森地区に鎮座)、「都麻津姫神社」(吉礼地区と平尾地区に鎮座 /「高積神社」(祢宜地区に鎮座)とする説あり)が一体となって祭祀されたことが『続日本紀』からも知られており、「紀三所社」を敢えてこの三兄妹に絡めるのは不適と考えるべきでしょう。
しかしこの「紀三所社」の三社を一組とすることはかなり遡るもので、「住吉大社」(大阪市住吉区住吉に鎮座)に伝わる古文書『住吉大社神代記』(天平三年(731年)の成立とされる)にも記されています。
同記によれば、住吉大社の子神(≒末社)として記される「船玉神」について、紀伊国の紀氏の奉斎する神で、「志麻神」「静火神」「伊達神」の本社であるとしています。また、神功皇后の三韓征伐の際に武内宿禰がこの三神を船に祀ったとも記しています。
このことから当社を含む「紀三所社」は古くは「フナダマ(船玉 / 船魂 / 船霊)」つまり「船の神」として信仰されていたことがわかります。
民間信仰ではフナダマとは、主に漁民や廻船業者の間で見られるもので、人形や銅銭、サイコロ、毛髪などを船の柱の下部に祀り、船と航海の安全を司る神とされています。
このフナダマ信仰の原型が住吉大社の子神「船玉神」(現在も「住吉大社」境内社として「船玉社」が鎮座)であり、当社、「志磨神社」、「静火神社」の「紀三所社」の神でもあったのでしょう。
『延喜式』神名帳でもこの三社は共に名神大社であることに加え、連続して記載されていることから、これら三社が一体のものであり、かつ朝廷からも重視される船に関する神社だったことが窺えます。
一方、当社と同様に「伊達神社」を名乗る式内社は丹波国桑田郡(論社はそれぞれ京都府亀岡市余部町加塚、京都府亀岡市宇津根町東浦に鎮座)、陸奧国色麻郡(論社は宮城県加美郡色麻町四竃に鎮座)があり、いずれも当社と同様「五十猛(イタケル)命」を祀っています。
また「イタテ」の読みを持つ式内社では播磨国餝磨郡の「射楯兵主神社」(兵庫県姫路市総社本町に鎮座)、さらに出雲国では「韓國伊大弖神社」を名乗る式内社が意宇郡に二社、出雲郡に二社記載されています(論社は『延喜式』神名帳出雲国の頁を参照)。
この内播磨国の「イタテ」については『播磨国風土記』に言及があります。それによれば、餝磨郡の因達(イタテ)里は神功皇后が三韓征伐の際に船の前に「伊太代之神」をここで祀ったことからそう名付けたと地名起源説話を記しています。
ここでも『住吉大社神代記』と同様に船に祀る「フナダマ」としての神格が表れています。
当社の祭神でもある「イタケル」は各地に種を蒔き国中を青山としたことから木の神として信仰されていますが、「イタテ神」が「フナダマ」として信仰されたことはこれと無関係でないでしょう。
すなわち木の神である「イタケル」は木を材料にして造られる船をも司る神格であったと考えられます。
『住吉大社神代記』が三社を「紀氏の神」としている通り当社は紀氏が奉斎したことが考えられ、彼らは五世紀から六世紀にかけて瀬戸内海の海路を構築していきます。
こうした過程の中で、彼らが奉斎し、そして元より木の神だった「イタケル」=「イタテ神」の船の神としての神格が高まり、その信仰や伝承が播磨にまで影響を及ぼしていったのかもしれません。
なお、「イタケル」と「イタテ」が何故結びつくのかは明らかでありませんが、「伊太祁曽神社」もイタケルを祀ることから、「イタ」の音がイタケルに係ることは間違いないのでしょう。
さて、当社は江戸時代以前には「園部神社」「一宮大明神」「牛頭天王」等と呼ばれました。
園部神社とは当地の地名に因むもので、「一宮大明神」とは紀伊国一宮である「伊太祁曽神社」と同神を祀ることに因むものです。
一方でいつの頃か「牛頭天王」を祀ったようで、一説にはイタケルの父であるスサノオを合祀したものが同格の(仏教的な)神である「牛頭天王」に変わったとも言われています。
また、当社は「五十猛命」とは別に「神八井耳命」も祀っています。これについて江戸時代後期の地誌『紀伊国名所図会』は、当地に居住した園部氏が祖を祀ったものとしています。
園部氏が当地に居住したのは中世以降と見られ、当初からの神でなく後から合祀したのでしょう。
江戸時代には式内社「伊達神社」は当社でなく小野町に鎮座する「水門吹上神社」とする説があり、紀州藩もその説を採用し、『紀伊国名所図会』もそれに従っています。
しかし江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』は式内社「伊達神社」は当社であるとして「水門吹上神社」説を斥けました。
明治三年(1870年)に完成した『神社覈録』では依然として「水門吹上神社」を論社としているものの、現在では式内社は当社とする説が一般的になっています。
明治に至り当社の社号を「伊達神社」とし、また明治二十二(1889年)に園部村と隣の六十谷村の合併により成立した村の名はイタケルの別名に因む「有功(イサオ)」となりました。
「紀三所社」の一社として、また「フナダマ」としての信仰は現在は薄れた(消失した?)ようですが、イタケルを祀る神社であるとする矜持は今尚健在です。
境内の様子
当社は園部地区の集落内、有功小学校のすぐ西側に隣接して鎮座しています。
境内入口に若干の石段があり、これを上った所に一の鳥居が南向きに建っています。
一の鳥居をくぐった様子。かなり鬱蒼とした社叢の中を参道が伸びており、木の神を祀る神社であることを実感できます。
社叢を抜けたところはやや開けた空間となっています。
社叢を抜けて左側(西側)に手水舎が建っており、古そうな手水鉢と井戸が設けられています。
さらに参道を進むと正面奥に二の鳥居、そして社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入切妻造に妻入切妻造の向拝の付いたもの。
社殿の建つ空間は開口部が大きいものの塀で囲われています。
二の鳥居の両脇に配置されている狛犬。
拝殿後方に幣殿、本殿が建っています。本殿は銅板葺の一間社春日造で、裳階が付いており身舎の外側に壁が設けられています。
境内社
当社には非常に多くの境内社が鎮座しています。以下、本社本殿の左側(西側)から時計回りに紹介していきます。
まず、本社本殿の左側(西側)に桟瓦葺の平入切妻造の長い覆屋があり、ここに七社もの境内社が東向きに鎮座しています。
ここに鎮座する神社は左側(南側)から順に次の通り。
- 「三社神社」
- 「天満神社」
- 「大人神社」
- 「妙見神社」
- 「畦神社」
- 「八幡神社」「赤□神社」の相殿(※□は「貝弋」を一字にしたもの)
- 「大人神社」
これらの内、「妙見神社」は板葺の妻入切妻造、最も右側(北側)の「大人神社」は石造の妻入入母屋造、他は板葺の春日見世棚造の社殿です。
上の七社と本社本殿との間には「恵美須神社」が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
続いて本社本殿の後方(北側)へ。塀に沿ってこちらも七社もの境内社が南向きに鎮座しています。
ここに鎮座する神社は左側(西側)から順に次の通り。
- 「天磐座神社」
- 「早尾神社」
- 「粟島神社」
- 「住吉神社」
- 「春日神社」
- 「樟神社」
- 「八幡神社」
これらの内、何故か春日神社のみが銅板葺の流見世棚造で、他が銅板葺の春日見世棚造となっています。
最後に本殿右側(東側)へ。塀に沿って二社の境内社が西向きに鎮座しています。
この内、左側(北側)に鎮座するのは「稲荷神社」、右側(南側)に鎮座するのは「八王子神社」です。
社殿はいずれも銅板葺の春日見世棚造。
上の二社と本社本殿との間に「天照大神」「金峯神社」の相殿が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の神明造に似た流見世棚造。
上の相殿の手前(南側)、本社幣殿の右側(東側)にクスノキの巨樹が聳えています。
これもまた木の神を祀る神社に相応しい見事なものです。


地図
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