社号 | 静火神社 |
読み | しずひ |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 和歌山県和歌山市和田 |
旧国郡 | 紀伊国名草郡和田村 |
御祭神 | 静火大神 |
社格 | 式内社、竈山神社境外摂社 |
例祭 | 4月16日 |
静火神社の概要
和歌山県和歌山市和田に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、「伊達神社」(園部地区に鎮座)、「志磨神社」(中之島地区に鎮座)と共に古くから「紀三所社」と称して祀られてきました。
この「紀三所社」については永承三年(1048年)の記録にも見えることから、かなり古くから称されていたことがわかります。
「紀三所社」はスサノオの御子神である「イタケル」「オオヤツヒメ」「ツマツヒメ」をそれぞれ祀るからそう称するとする説もあるものの、これは「伊達神社」でイタケルを祀ることを除いて全く当てはまらず、妥当とは言えません。
「イタケル」「オオヤツヒメ」「ツマツヒメ」の三兄妹についてはそれぞれ「伊太祁曽神社」(伊太祈曽地区に鎮座)、「大屋都姫神社」(宇田森地区に鎮座)、「都麻津姫神社」(吉礼地区と平尾地区に鎮座 /「高積神社」(祢宜地区に鎮座)とする説あり)が一体となって祭祀されたことが『続日本紀』からも知られており、「紀三所社」を敢えてこの三兄妹に絡めるのは不適と考えるべきでしょう。
しかしこの「紀三所社」の三社を一組とすることはかなり遡るもので、「住吉大社」(大阪市住吉区住吉に鎮座)に伝わる古文書『住吉大社神代記』(天平三年(731年)の成立とされる)にも記されています。
同記によれば、住吉大社の子神(≒末社)として記される「船玉神」について、紀伊国の紀氏の奉斎する神で、「志麻神」「静火神」「伊達神」の本社であるとしています。また、神功皇后の三韓征伐の際に武内宿禰がこの三神を船に祀ったとも記しています。
このことから当社を含む「紀三所社」は古くは「フナダマ(船玉 / 船魂 / 船霊)」つまり「船の神」として信仰されていたことがわかります。
民間信仰ではフナダマとは、主に漁民や廻船業者の間で見られるもので、人形や銅銭、サイコロ、毛髪などを船の柱の下部に祀り、船と航海の安全を司る神とされています。
このフナダマ信仰の原型が住吉大社の子神「船玉神」(現在も「住吉大社」境内社として「船玉社」が鎮座)であり、当社、「伊達神社」、「志磨神社」の「紀三所社」の神でもあったのでしょう。
『延喜式』神名帳でもこの三社は共に名神大社であることに加え、連続して記載されていることから、これら三社が一体のものであり、かつ朝廷からも重視される船に関する神社だったことが窺えます。
一方、江戸時代後期の地誌『紀伊続風土記』によれば当社は早くも永仁年間(1293年~1299年)には廃絶していたようです。
ただ祭祀はその後も継続していたらしく、同記が引く『国造家記』によれば「日前神宮・國懸神宮」(秋月地区に鎮座)の境内にあった「草ノ宮」なる神社で「静火祭」が行われたことが暦応年間(1338年~1342年)・応永年間(1394年~1428年)の記録にあるようです。
当地は「日前神宮・國懸神宮」の神領であったといい、また上記『住吉大社神代記』にも紀氏が奉斎したとあることから、廃絶後は同神宮で祭祀されるようになったのでしょう。
その後江戸時代の享保九年(1724年)に紀州藩の命によって、従来とは場所を変えて「天霧山」(「薬師山」とも)の山上に社殿を建てて当社が再興されました。
また旧地(現在地の東方約200m)には「靜火社舊地」の五字を刻んだ石碑が建てられました。
この石碑は近年まで田圃の傍らに建っていたものの、新しい道路が整備されるにあたって玉垣や灯籠が設けられるなど綺麗に整備され、石碑も新しいものとなっています。
当社の社名「静火」について、『紀伊続風土記』はこれは地名に因むもので、和田地区の南東に隣接する地名「朝日」と対になる語とし、往時は水路として樋が設けられ、浅く樋を設けたところを「浅樋」(後の朝日)、深く設けたところを「下樋」(後の静火)としたのであろうと推測しています。
ただ『紀伊続風土記』はあくまでこれを地名の由来としており、当社の神格に影響を及ぼすものとは見ておらず、祭神は上記の「オオヤツヒメ」「ツマツヒメ」のどちらかであろうとしています。
一方で「竈山神社」(同じ和田地区に鎮座)の社家である鵜飼氏の文書によれば、当社の御祭神は「火結神」としています。
また文字通り「火」を「静(鎮)」める意として、紀伊国が木材の産地であることに関連し森林火災や火事から守る火伏の神であったとする説もあります。
ただ、いずれにしても『住吉大社神代記』に見られるような「フナダマ」「船の神」といった神格とは結びつきづらく、当社の神が如何なるものであったかは依然謎に包まれています。
なお、現在は社名を神名として「静火大神」を御祭神としています。
境内の様子
当社の鎮座する「天霧山」。標高24mほどの小さな丘で、「薬師山」とも呼ばれています。
天霧山の東麓から当社の参道が伸びています。
当社の鎮座する天霧山の山上は津波が発生した際の避難場所になっており、これを示す看板も掲示されています。
また小さな丘ながら参道は山道となっているので杖が置かれています。
竹藪の中の道を通って山上へと進みます。
この道を進んでいくと当社の鳥居が見えていきます。
奥へ進んで鳥居前へ。鳥居は東向きに建ち、社殿前まで石畳も敷かれています。
鳥居をくぐってすぐ左側(南側)に真新しい手水鉢が配置されています。
麓で借りた杖を立てかけておくための箱も置かれています。
鳥居をくぐって正面奥に社殿が東向きに並んでいます。
拝殿は簡素な銅板葺の妻入切妻造で、床の無い土間となっており、拝殿というより雨除けに近い構造物です。
拝殿後方に建つ本殿は銅板葺の流見世棚造。
旧地
当社の旧地は現在地の東方200mほど、道路の歩道にあります。
近年にこの道路が敷設された際に整備されたようで、真新しい石垣や灯籠が設けられています。
奥には「靜火社舊地」と刻まれた結晶片岩の石碑が建っており、これも新調されたものとなっています。
以前は享保年間に建てられたものがそのまま田圃の傍らに建っているのみだったようです。
旧地から天霧山を見た様子。位置関係がよくわかります。
享保年間の復興の際に旧地でなく天霧山の山上に社殿を建てた理由ははっきりしません。


由緒
石碑
静火社旧地石碑由緒
地図
旧地
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