社号 | 産湯稲荷神社 |
読み | うぶゆいなり |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 大阪府大阪市天王寺区小橋町 |
旧国郡 | 摂津国東成郡小橋村 |
御祭神 | 宇賀魂命、下照比賣命、大小橋命、豊国明神 |
社格 | |
例祭 |
産湯稲荷神社の概要
大阪府大阪市天王寺区小橋町に鎮座する神社です。
由緒等は詳らかではありませんが、東成区東小橋の式内社「比売許曽神社」は元々この地に鎮座していたもと言われています。
「比売許曽神社」は織田信長による石山本願寺攻めの戦火に罹ったため現在地に遷座しましたが、その後この地で「産湯稲荷神社」として再興されたようです。
「比売許曽神社」の社伝によればに「愛久目山(アクメヤマ)」なる地に下照比売命を祀ったとあるので、上町台地の東側斜面となるこの地がその愛久目山なのでしょう。ただし『摂津名所図会』には当地の丘は「法蔵山」とあります。
かつて当社の北にあった「味原池」は「比売許曽神社」の祭神であるシタテルヒメ(アメノサグメ?)が磐船に乗って天降った地とされ、さらにその東にあった「高彦崎」なる地はシタテルヒメの兄、アジスキタカヒコネが天降った地とされていました。
『倭名類聚抄』摂津国東成郡にある「味原郷」は当地付近と推定され、この味原の地名もアジスキタカヒコネに因むとも伝えられます。
このように当地付近はシタテルヒメやアジスキタカヒコネに関連する伝承がいくつかあったようです。
一方、この地を開拓したと伝えられる人物として「大小橋命」がいます。
天児屋根命の十三世孫である大小橋命はこの地に誕生したと言われ、当社境内にある「玉ノ井」の清水を産湯にしたことから当社は産湯稲荷と呼ばれています。
この清水はかつては大阪を代表する泉の一つとして親しまれていましたが、現在は大都市の真っただ中にあることもあり飲用不可となっています。
境内の様子
境内入口。住宅地に囲まれた中に境内があり、東向きに朱鳥居が建っています。
桜の時期は鳥居をくぐると境内が花で覆われていて見事なもの。
参道の左側(南側)には手水鉢があります。訪問時は苔むした鉢と桜の花びらが風情を醸し出していました。
石段のを上ると正面に社殿が東向きに並んでいます。
社殿はRC造で、拝殿と本殿が一体となったいわゆる「凸型拝殿」。拝殿部分は銅板葺の妻入入母屋造で、正面は鳥居のような装飾になっています。
本殿部分は妻入切妻造でしょうか。或いはこれは覆屋で中に本殿が納められているのかもしれません。
本社社殿の左側(南側)には稲荷神社らしく数多くのお塚が祀られてあります。
境内の北側には、当地を開発したと言われる大小橋命が産湯にしたと伝わる「玉ノ井」があり、その傍らに「大小橋命産湯玉之井」と刻まれた石碑があります。ここが「産湯稲荷神社」の社名の由来となります。
扁額
当社は比売許曽神社の古社地であると共に御旅所ともなっており、境内にはその旨を示す石碑が建っています。
こちらの祠に納められている石造物は何でしょう。猫?それとも狸?何だかわかりませんが、耳の立った小動物系のかわいらしい石像です。
住宅地の小さな神社ですが、春の境内は花が多く参拝客を楽しませてくれます。
境内に隣接して公園があるのですが、この滑り台は天然の地形を利用したものです。つまり、ここは上町台地の東側の斜面にあるのです。
こうした観点から神社の立地を知るのも神社巡りの醍醐味と言えましょう。
由緒
『摂津名所図会』
地図
関係する寺社等
比売許曽神社 (大阪府大阪市東成区東小橋)
社号 比売許曽神社 読み ひめこそ 通称 旧呼称 牛頭天王社 等 鎮座地 大阪府大阪市東成区東小橋3丁目 旧国郡 摂津国東成郡小橋村 御祭神 下照比売命 社格 式内社、旧村社 例祭 10月16日 式内 ...
続きを見る
高津宮 (大阪府大阪市中央区高津)
社号 高津宮 読み こうづぐう 通称 旧呼称 高津社 等 鎮座地 大阪府大阪市中央区高津1丁目 旧国郡 摂津国西成郡西高津村 御祭神 仁徳天皇 社格 旧府社、別表神社 例祭 7月18日 ...
続きを見る
東高津宮 (大阪府大阪市天王寺区東高津町)
社号 東高津宮 読み ひがしこうづぐう 通称 旧呼称 仁徳天皇社、平野社 等 鎮座地 大阪府大阪市天王寺区東高津町 旧国郡 摂津国東成郡東高津村 御祭神 仁徳天皇、磐之姫命 社格 旧村社 例祭 7月1 ...
続きを見る