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月読神社 (京都府京都市西京区松室山添町)

更新日:

社号 月読神社
読み つきよみ
通称
旧呼称
鎮座地 京都府京都市西京区松室山添町
旧国郡 山城国葛野郡松室村
御祭神 月読尊
社格 式内社、松尾大社摂社
例祭 10月3日

 

月読神社の概要

京都府京都市西京区松室山添町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳に名神大社とあり、古くは極めて有力な神社だったようです。また同帳には「松尾末社」ともあり、古くから松尾大社の影響下にあったこともわかります。現在も「松尾大社」の摂社となっています。

当社の創建に関して、『日本書紀』の顕宗天皇三年二月一日の条に次のようにあります。

『日本書紀』(大意)

「阿閉臣事代」という人物が勅命を受けて任那へ派遣された。このとき、月神がある人に神憑りして次のようなことを言われた。「我が祖の高皇産霊は天地を創造した功がある。民地に我、月神を祀れ。もしその通りにすれば福があるだろう。」

事代は京に戻ってこのことを奏上し、山城国葛野郡にある「歌荒樔田」というところに月神を祀った。祭祀は壱伎県主の先祖である「押見宿祢」という人物が行った。

上記にあるように「歌荒樔田」というところに月神を祀ったのが当社の創建とされており、その祭祀にあたったのは壱伎県主の祖である「押見宿祢」という人物だったとしています。

歌荒樔田なる地の詳細は不明。一説には現在の桂上野の辺りとも言われています。『文徳実録』斉衡三年(856年)三月三日の条に、水害の為に葛野郡の月読社を松尾山の南麓へ遷座した旨が記載されており、この時に現在地に遷ったようです。

さて、最初に当社の神官となった押見宿祢は壱伎県主の祖とされています。壱岐島の式内社に壱岐郡の「月読神社」があり、当社がここと深い関係があるのは間違いないでしょう。

壱岐は対馬と共に卜占技術を持った集団(卜部)がおり、神祇官の管理下に置かれていました。卜占には天体の観測も必要で、特に月の満ち欠けによって暦を知ることは卜部の重要な仕事だったことでしょう。壱岐の月読神社は彼らの奉斎した神社だったと考えられます。

一方で月の満ち欠けが潮の流れとも連動していることは海洋民にとって必須の知識であり、また生と死の繰り返しの象徴であることから、特に九州では月神の信仰が盛んに行われました。現在も九州各地で月読神が祀られています。壱岐の月読神社もこうした素朴な信仰が元になっている可能性は考えられるでしょう。

『日本書紀』では「阿閉臣事代」という人物が朝鮮半島南部の任那へ派遣された際に月神からの託宣があったとしています。壱岐は朝鮮半島への交通の足掛かりとなる要地であり、日本と密接な関係を持った任那とを結ぶ中継地点でした。とすると月神の託宣は日本の外海への国家戦略にも深く関わっていたことが示唆されます。壱岐の神であり、また卜占にも関わる月読神を畿内に祀ることで本邦の安寧と外海の政策の成功を願ったという側面もあったのでしょうか。いずれにせよ当社の勧請には政治的な事情が絡んでいるように感じられます。

余談ながら、桂川を遡った丹波国桑田郡(京都府亀岡市)の式内社に月読神を祀る「小川月神社」があり、当社と関係あるのかもしれません。その他、山城国内にも綴喜郡に「月読神社」(京田辺市)「樺井月神社」(城陽市)という月に関する神社があるのは注目しておくべきでしょう。

 

境内の様子

境内入口。松尾大社の400mほど南方に当社は鎮座しています。

 

朱の鳥居をくぐると石段があり、その上に神門が建っています。神門は神社としてはやや珍しい薬医門形式。

 

神門の先は社殿の建つ空間。あまり広くありません。

社殿は松尾山を背にした東向き。拝殿は京都府で一般的な舞殿風拝殿です。

 

本殿は拝殿後方のちょっとした石段の上に建っており、桧皮葺の一間社流造です。

本殿前の灯籠には「月讀宮」と刻まれています。紀年名が摩耗しているためいつのものか不明ですが江戸時代のもののようです。

 

本殿の左側(南側)に「願掛け陰陽石(いんようせき)」というものがあります。スイカほどの大きさの石が左右に二個連なったもので、立札には左右の石を撫でて祈願するよう案内されています。

 

願掛け陰陽石の左側(南側)に「三船社」が鎮座。御祭神は「天鳥船」。

 

三船社の石段下の左側(南側)に「解穢の水」というものがあります。穢れを祓い清める手水のようですが飲用ではないとの由。

 

次は本殿の右側(北側)へ。こちらには「聖徳太子社」が鎮座しています。御祭神は社名の通り「聖徳太子」。当社で聖徳太子を祀る理由は不明です。

 

聖徳太子社の右側には「むすびの木」及び「月延石(つきのべいし)」というものがあります。月延石は子授けと安産に験があるとされ、手前側と奥側に岩が配されています。

参拝時には手前側の岩に三つの丸石が、奥側の岩に一つの石と多くの白い石が置かれていました。白い石は安産を願う人々によって奉納されたもので、多くは未来の日付が記されています。恐らくは出産予定日で、流産しないようにとの願いも込められているものでしょう。

月延石は神功皇后が三韓征伐の際に臨月だったのを腰に石を挟むことで帰還後に出産をしたという伝説に因んだものです。月は満ち欠けが死と再生の象徴であると共に、月の物など女性機能が月に関係するとされたことから、出産もまた月と非常に深く関わるものであると考えられました。単純に出産の月を延ばすというだけでなく、月の神秘に対する信仰がここにも表れていると考えるべきでしょう。

 

タマヨリ姫
ここは月の神様を祀ってるんだね。やっぱり昔の人は月に対して不思議なものというか、神秘的なものとして感じてたのかな。
そうね、月は満ち欠けや潮との関係から神秘的なものとして各地で信仰されたわ。死と再生の象徴として、海の安全の神として、出産の神として、などなど様々な一面があるのよ。
トヨタマ姫

 

由緒

案内板「月読神社境内」

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京都市指定史跡

月読神社境内

月読神社は延喜式では名神大社の一つに数えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。

文献によれば、顕宗三年(四八七)阿閉臣事代が朝鮮半烏に遣わされる際に、壱岐で月読尊がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社を創建したとされ、斎衡三年(八五六)に松尼山南麓の現在の地に移ったと伝えます。

境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御舟社、聖徳太子社などから構成されています。

月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡米系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京郁の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な意味をもつ神社であるといえます。

平成五年四月一日 指定
京都市

『都名所図会』

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月読社は松尾の南二町にあり。松尾七社の内なり。当社鎮座のはじめは往昔にして年歴しれず。松尾より以前と見えたり。斉衡三年三月に山城国葛野郡月読社を松尾の南に迁すよし文徳実録に出たり。又文徳帝御宇仁寿三年に痘瘡大に流行して諸人これを愁へこの時当社の神託ありてその害を救たまふ。是よりして貴賤疱瘡の災を免んためこの社に詣で神のたすけを祈る由三代実録にあり。

 

地図

京都府京都市西京区松室山添町

 

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