社号 | 大宮姫命稲荷神社 |
読み | おおみやひめのみこといなり |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市上京区竹屋町千本東入主税町 |
旧国郡 | 山城国京都 |
御祭神 | 大宮姫命 |
社格 | 式内社 |
例祭 |
大宮姫命稲荷神社の概要
京都府京都市上京区竹屋町千本東入主税町に鎮座する式内社です。
当社は神祇官西院に鎮座していた御巫祭神八座の一つ、「大宮賣神」だったと伝えられています。
平安時代から中世にかけて、宮中(内裏)の神祇官西院において、「八神殿」と呼ばれる八柱の神が祀られていました。大宮売神はその第六殿にあたります。八神殿は「大御巫(おおみかんなぎ)」と呼ばれる女性神官によって祭祀されていました。
『古語拾遺』によれば、これら八柱は神武天皇の御代に天照大神と高皇産霊神の二神の詔により神籬を立てて祀ったのが始まりであるとしています。実際に祭祀が始まったのがいつの頃かは詳らかでありませんが、少なくとも平安京遷都以降には祭祀が行われ、天皇守護の神とされていたようです。
特に八神殿は新嘗祭前日に行われる「鎮魂祭」において祭祀され、天皇の霊力を高め魂の活力を強化する役割があったと考えられています。
この八柱はいずれも天皇と関わりが深く、大宮売神も様々な説がありますが内侍もしくは宮殿を神格化した女神であるとも言われています。
その後中世には八神殿の祭祀は衰退し、応仁の乱以降は宮中で再建されることもありませんでしたが、江戸時代以降に吉田家が吉田神社境内に、白川伯王家が敷地内にそれぞれ八神殿を祀ったと言われています。
八神殿の内、どういうわけか大宮売神だけが当地に残り、稲荷神として祀られています。その経緯は詳らかでありません。
しかしながら皇室の私的に祭祀していた神だったのが皇室から離れて庶民による信仰へと変貌を遂げたのは稀有なことと思われ、現在は小さな神社ながら、その歴史を思わずにいられません。
なお、かつての神祇官西院の位置はNHKの敷地であるとの情報がネット含む各資料に見えますが、NHK京都放送局は2015年に移転しており、現在では正確な情報ではありません。神祇官西院と推定される地は現在の二条公園の一つ北方の区画にあたるので注意が必要です。
境内の様子
当社は竹屋町通に突き出るような形で鎮座しており、非常に小さく狭い境内となっています。
入口は西側と北側の二ヶ所があり、当記事では西側入口から紹介します。西側入口に西向きの鳥居が建っています。
境内にはさらにもう一回り狭い区画が玉垣で廻らされており、その内側に銅板葺・一間社流見世棚造の本殿が南向きに建っています。拝殿等の設備はありません。
社殿前にある鉄の扉には三つ鱗紋があしらわれており、稲荷神の形式をとっていつつも当社の神が龍蛇の類であることを示しています。
社殿後方には樹木が聳えており、狭い境内の重要なアクセントとして存在感を放っています。
玉垣の後方には小さな祠が南向きに建っています。社名・祭神は不明。実に狭い空間で非常に参拝しにくい立地です。
参道は社殿前の右側(東側)から北側へ回り込み、北側入口へと続いています。北側入口には北向きの鳥居が建っています。
非常に小さな神社ながら一方通行で参拝できる神社となっています。
西側入口の傍らには京都に多い「化粧地蔵」のお堂がありました。
地図