社号 | 岡田鴨神社 |
読み | おかだかも |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府木津川市加茂町北鴨村 |
旧国郡 | 山城国相楽郡北村 |
御祭神 | 賀茂建角身命、菅原道真公 |
社格 | 式内社、旧郷社 |
例祭 | 4月3日 |
岡田鴨神社の概要
京都府木津川市加茂町北鴨村に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社に列格しており、古くは有力な神社だったようです。
当社に関連して『山城国風土記』逸文に以下の記述があります。
『山城国風土記』逸文(大意)
日向の曽の峯に天下った賀茂建角身命は神日本磐余彦の御前に立ち、大和の葛城山の峯に宿り、そこから遷って山城国の岡田の賀茂に至り、木津川の沿って下り、桂川と鴨川の合流するところに至って鴨川を見まわして言うには「小さいが石川の清川(スミカワ)である」と。これによって「石川の瀬見の小川」と名付けられた。
その川から上って久我国の北の山基(ヤマモト)に鎮まり、その時から賀茂と名付けられた。
(以下略)
これは「賀茂建角身命」を祖神とする賀茂氏が大和から山城へ至る過程を神話に託したものと言え、賀茂氏が現在の賀茂別雷神社(上賀茂神社)の地に身を置いた様子、そして彼らの奉斎する祖神の業績を示したものです。これによれば、賀茂建角身命は大和の葛城から北上する途中「山城国の岡田の賀茂」に至ったとあります。
「山城国の岡田の賀茂」とはすなわち当地であり、この地に賀茂建角身命を祀ったのが当社であると考えられます。このため賀茂御祖神社(下鴨神社)(賀茂建角身命を祀る)の元宮であるとも言われていますが、一方で賀茂社から当社へ神を勧請したとする説もあり、どちらが先であるかはっきりしません。
後者ならば、いつしか当地が賀茂社の神領となり、賀茂氏に所縁ある地として『山城国風土記』逸文の神話に組み込んだものかもしれません。実際、当地は奈良盆地から見れば東に外れた盆地であり、奈良盆地から北上したとすればやや不自然な立地ではあります。
ただ先述の通り当社は『延喜式』神名帳に大社に列格しているので、賀茂氏所縁の神社の中でも特に重視された神社だったのは間違いないでしょう。
岡田鴨神社は当初からこの地に鎮座していたわけでなく、現在の社地はかつて「天満宮(天神社)」の地でした。このため、現在は賀茂建角身命を祀る社殿と共に「菅原道真公」を祀る社殿が左右に並んでいます。
岡田鴨神社の旧地は現在の社地の北西にある藪の中であり、旧地であることを示す石碑が建っています。かつて木津川は現在よりも北方を流れていたと言われ、流路が変わったことで水害が多発し、岡田鴨神社は水害を避けるために天満宮の境内に遷ったと伝えられています。
現在の社地は『続日本紀』和銅元年(708年)九月廿二日の条に見える「岡田離宮」の地であるとも言われており、この岡田離宮の旧跡を保存するために天神社が祀られたとも伝えられています。
岡田鴨神社が現在地、すなわち天満宮の社地に遷った時期は不明ですが、旧地の小字は「大明神」と称し、長らく神が祀られていたことが偲ばれます。
境内の様子
一の鳥居は境内の南方50mほどのところに南向きに建っています。
一の鳥居をくぐった様子。参道は50mほど続き両側は松の並木となっています。
境内の手前で石畳の道路が横切っています。
さらに進んでいくとこのような建物があります。瓦葺の平入切妻造で、左端に通路があり切妻破風の向拝が付いています。
社務所(?)と一体化した神門と呼ぶべきか、割拝殿の一種と呼ぶべきか。分類の難しい建築ですが、外界と神域とを区別する機能を持つものであるように思います。通路には扁額も掲げられています。
この建物の手前の左側(西側)に手水舎があります。
先の建物の通路をくぐると社殿の建つ空間が広がっています。こざっぱりとしたシンプルな空間。
社殿は南向きに建っています。
手前側には薄い銅板葺の妻入入母屋造の拝殿があります。床が無く土間であり、構造も極めて簡素なもので、仮設の建物ではとの印象。
拝殿の左右に狛犬が配置されています。砂岩製のもの。
狛犬の傍らに牛の石像も置かれています。この地は元々天満宮の地で、今も社殿の片方に菅原道真公が祀られています。
拝殿の後方は基壇となっており、透塀と二の鳥居が設けられています。鳥居に鈴の緒が取り付けられており珍しい例です。
基壇上に檜皮葺の一間社春日造の本殿が二棟横に並んでいます。左側(西側)が「天満宮」(御祭神「菅原道真公」)、右側(東側)が「岡田鴨神社」(御祭神「賀茂建角身命」)です。この二棟の本殿は江戸時代の建築で、京都府指定文化財。
参拝時は修復工事が行われたばかりのようで、色鮮やかな美しい朱が施されていました。
右側の社殿(岡田鴨神社)のさらに右側(東側)に「社殿跡」と刻まれた石碑が建っていました。何の社殿なのでしょう。
拝殿の右側(東側)には境内社の「金刀比羅神社」が鎮座しています。檜皮葺の一間社春日造。こちらも江戸時代の建築で京都府指定文化財。
金刀比羅神社の右側(南側)に「三十八社神」が鎮座しています。御祭神は「鹿嶋神御子三十八神」。
三十八社神の右側(東側)に「八幡宮」と刻まれた石碑があり、八幡宮の遥拝所のようです。
東に向かって拝むことになりますがどこの八幡宮なのでしょう。石清水八幡宮や宇佐神宮とは全く異なる方角です。鶴岡八幡宮でしょうか。
境内の左奥(北西)の隅にこのような妻入入母屋造の建物がひっそりと建っています。これは何なのでしょう。
寺院のお堂のようにも思われ、神宮寺の建物だったものがそのまま置かれてるのかもしれません。
さて、岡田鴨神社の旧地へ向かいます。当社後方に藪があり、とてもわかりづらいのですが道があるのでそこを通っていきます。
この藪の中を進んでいくと「岡田鴨神社旧跡地」と刻まれた石碑が建っています。
今は一面の藪であり全く面影がありませんが、この地が旧地であると伝えられているようです。
木津川の流路が変わったことでこの地に水害が多発し天満宮の社地である現在地に遷座したと伝えられ、それ以来この地は放置されこのように藪になったようです。
当社西方に架かる恭仁大橋から東方を眺めた様子。木津川が流れており、この右側(左岸側)の藪が岡田鴨神社の旧地です。
また、伝承ではかつて木津川は左側(右岸側)に見える山の北側を流れていたとも言われています。地形的にやや無理があるような気もしますが、少なくとも今の流路では旧地に水害の多かったことは容易に想像が出来ます。
由緒
案内板
岡田鴨神社
地図
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