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葛木二上神社 (奈良県葛城市染野)

社号葛木二上神社
読みかつらぎふたかみ / かつらぎにじょう
通称二上神社 等
旧呼称権現 等
鎮座地奈良県葛城市染野
旧国郡大和国葛下郡染野村(?)
御祭神大国魂神、豊布都魂神
社格式内社、旧郷社
例祭7月25日、10月25日

 

葛木二上神社の概要

奈良県葛城市染野に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には大社とあり、古くは有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、二つの山頂を持つ「二上山」を神体山として神を祀った素朴な山岳信仰に始まったことが考えられます。

二上山は特徴的な山容であることに加えて大和国と河内国の境界に聳えるため、奈良盆地に住む人々にとって極めて強く印象付けられる山であり、西方のあの世に通じる神聖な山であると認識されたことでしょう。

奈良盆地南部に代々皇居を置いていた古代の大王も殊更に二上山への信仰を重視したものと思われ、単なる山岳信仰にとどまらず、政治的・地勢的にも重要な山と位置付けていたと思われます。

さらに二上山は刃物の材料として適したサヌカイトが産出されており、近畿各地で二上山のサヌカイトで作られたものと推定される打製石器が多く出土しています。旧石器時代から人々に有用な山として利用され、同時にこの山への信仰も極めて古いことが窺えます。

 

『延喜式』神名帳には二座と記されてあり、現在は雄岳の山頂近くに鎮座していますが、本来は二上山の二つの山頂「雄岳」と「雌岳」それぞれに男神・女神を祀ったことが推測されます。

一方、現在の御祭神は「大国魂神」「豊布都魂神」の二柱です。社伝によれば大国魂神は天理市新泉町の「大和神社」へ、豊布都魂神は天理市布留町の「石上神宮」へと当社から勧請されたと伝えられています。

ただ、両社ともに創建由緒が『日本書紀』に記されていますが、当社から勧請したとは全く記されておらず、両社でそのような伝承も無いことから付会である可能性が高いでしょう。

上述のように本来は二つの山頂に男神と女神を祀ったものと思われ、現在のように大国魂神と豊布都魂神が祀られるようになった経緯はよくわかりません。後者に「豊」の字が付されていることも不明で、さらにこの二神を併せ祀った当社が江戸時代に「権現」と呼ばれていたこともやや不思議です。

大和神社も石上神宮も「権現」の号で呼ばれることはほぼ無かった一方で当社でそのように呼ばれたのは、当社が大和神社・石上神宮とは無関係に信仰され、さらに当地は葛城経塚二十八宿の一つであり葛城修験とも密接に結びついていたことが考えられるかもしれません。

 

当社は『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座には含まれていませんが、地元では雨乞いの神として盛んに信仰され、旱魃の年には「嶽の神様幟がお好き、幟持てこい雨降らせ」と叫びながら登山することが行われていました。

一方、当社は加守地区に鎮座する「葛木倭文座天羽雷命神社」を構成する三社の内の一社としても祀られており、当社の里宮、もしくは遥拝所的な神社となっています。

冬季の参拝の便益などのため、雄岳の東麓であり遥拝に適し、かつ二上山への登山口にあたる葛木倭文座天羽雷命神社へ勧請されたことが考えられます。

現在は二上山は大阪近郊の手軽な山として親しまれており、季節を問わず多くのハイカーが山頂を訪れ当社への参詣も行われています。

 

境内の様子

二上山

当社の鎮座する二上山を13kmほど離れた天香久山の山頂から眺めた様子。見ての通り二つの山頂がある特徴的な山容で、左側(南側)の低い山頂が雌岳、右側(北側)の高い山頂が雄岳です。

二上山への登山道はいくつかあり、加守地区の「葛木倭文座天羽雷命神社」や當麻地区の「當麻山口神社」から伸びている登山道の他、大阪府側からも竹ノ内峠の西方、鹿谷寺跡を経由して登る経路があります。

 

葛木二上神社

葛木二上神社

当社は二上山の雄岳の山頂近くに鎮座しています。当社は境内といえるような空間は無くただ社殿が南向きに建っているのみで、鳥居や手水舎、灯籠すらありません。

その社殿も拝殿は無く、拝所を兼ねた銅板葺・妻入切妻造の中門と、それに接続して内部を囲う塀が建っているのみとなっています。

 

塀の内部の様子。左右に狛犬が配置されているものの本殿が無く、榊の木が神籬として聳えているのみです。

当社は昭和四十九年(1974年)に二上山の火事で焼失し、翌年に中門などが再建されたものの本殿の再建には至っていないようです。

 

当社の社殿前の様子。周りは木々で囲われたただの登山道であり、神社の境内という雰囲気ではありません。

 

当社社殿の右側(東側)の森の中に「二上白玉稲荷大神」と刻まれた石碑が建っています。「お塚」のようなものとしてこれも祭祀の対象なのでしょう。

 

さらにその側の森の中に「葛城経塚二十八宿」の一つがあります。ここ二上山は第二十六番にあたります。

葛城経塚二十八宿とは、役行者が和泉山脈から金剛山地にかけて法華経八巻二十八品をそれぞれ埋納したとされる28ヶ所の経塚のことで、修験道の行場となっています。

 

当社からさらに東方へ進むと大津皇子の御陵である「二上山墓」があります。

大津皇子は天武天皇の皇子であり、政治闘争に巻き込まれて謀反の意志があるとして捕らえられ若くして自害した人物です。『万葉集』に数多くの歌を残しており文化人としても活躍しました。

 

一方、当社の西方には二上山の山頂とされる場所がありますが、全く樹木に覆われており景色は全く見えず、何も面白みの無いところです。

案内板

二上山

 

雄岳と雌岳の間の「馬ノ背」と呼ばれる凹部から少し西方へ下ったところは景色はよく開けており、眼下一面に大阪平野を眺めることができます。

 

タマ姫
二上山って面白い形の山だね!猫耳みたい!
元々はこの二つの山頂にそれぞれ神様を祀ってたんじゃないかしら。
トヨ姫

 

地図

奈良県葛城市染野

 

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