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葛木御歳神社 (奈良県御所市東持田)

社号葛木御歳神社
読みかつらぎみとし
通称中鴨社 等
旧呼称
鎮座地奈良県御所市東持田
旧国郡大和国葛上郡東持田村
御祭神御歳神 / 相殿:大年神、高照姫命
社格式内社、旧郷社
例祭10月第2月曜日

 

葛木御歳神社の概要

大和国葛上郡東持田村に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは非常に有力な神社だったようです。

当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、「上鴨社」と呼ばれた「高鴨神社」(鴨神地区に鎮座)、「下鴨社」と呼ばれた「鴨都波神社」に対し当社は「中鴨社」と呼ばれ、葛城地方における「カモ」関係の一社として信仰されています。

当社は社名の通り「御歳神」を祀っています。『古事記』においては須佐之男命と神大市比売の間に大年神が生まれ、大年神と香用比売との間に御年神が生まれたと記されています。

さらに忌部系の史書である『古語拾遺』ではより詳しい事跡が描写されています。

『古語拾遺』(大意)

大地主神が田を作っていたとき、牛の肉を農民に食べさせた。御歳神の子がその様子を父に報告したところ、御歳神は大いに怒り、イナゴを放って苗をたちまち枯らしてしまった。そこで大地主神が巫に占わせたたところ、御歳神の祟りであると判明し、白猪・白馬・白鶏を奉献すると御歳神の怒りは解けた。(以下略)

『延喜式』四時祭でも祈年祭において御歲社に白馬・白猪・白鶏を各一つずつ加えることが記されており、『古語拾遺』の記述の通りに実際に朝廷で祭祀していたことが窺われます。

 

そもそも歳神(年神)とは一般に毎年正月にやってくる来訪神であり、また穀物の実りを司る豊饒神としても信仰されています。

その年神の古い形態の信仰が『古事記』『古語拾遺』などに組み込まれ体系化されたのが大歳神であり御歳神だったと思われます。

御歳神は系譜の上ではスサノオの孫ですが、そのように体系化される以前に当地を支配した地祇系賀茂氏が田の神、豊穣神として祭祀した「年神」が当社の原初的な信仰だったのかもしれません。

当社の背後の「御歳山」は神体山とされており、恐らく当初はこの山に年神を降ろして祭祀したのでしょう。

 

一方、物部系の史書『先代旧事本紀』では、大己貴神が高津姫神を娶って一男一女を生み、

  • 子の「都味歯八重事代主神(コトシロヌシ)」は倭国高市郡の「高市社」(現在の橿原市雲梯町の「河俣神社」)に、また「甘南備飛鳥社」(現在の明日香村飛鳥の「飛鳥坐神社」)に鎮座していること、
  • その妹の「高照光姫大神命」は倭国葛木郡の「御歳神社」に鎮座していること

が記されています。

この内の「御歳神社」とは当社のことと考えられ、これによればオオナムチの子でありコトシロヌシの妹であるタカテルヒメなる神を祀っていたことになります。(現在も相殿として祭祀)

ただ、『延喜式』神名帳には特に二座であるとは記されていないため、『延喜式』の時代には一柱のみ祀っていたと思われますが、それが御歳神なのかタカテルヒメなのかははっきりしません。

当社が「カモ」関係の神社であることを重視すればタカテルヒメを祀るとする方に分がありますが、御歳神社と名乗るからには御歳神を祀るとも考えられ、いずれであると決めることは難しいでしょう。

 

『新撰姓氏録』には大和国未定雑姓に大物主神の五世孫、意富太多根子命の後裔であるという「三歳祝」が登載されており、地祇系賀茂氏と同族であるこの氏族が当社を奉斎したと考えられます。

一方で『三代実録』貞観八年(866年)二月十三日の条に、大和国の三歳神に神主が無かったので新たに置いたところ祟りがあったためにやめたと記されています。どういうわけか祟りがあるため当社に神主がいなかったようです。

そうすると「三歳祝」とは何者なのか、名前からして当社の「祝」、つまり神主なのではないか、という矛盾が発生することになります。

ただ、『三代実録』の「三歳神」は当社でなく高市郡の式内社「御歳神社」(現在は橿原市和田町の「馬立伊勢部田中神社」に比定)とする説もあります。

いずれにせよ当社は名神大社であり、祈念祭でも奉献があるなど少なくとも朝廷から非常に重視された神社であったことは事実です。『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日の条には当社に従一位という高い神階が叙せられたことが記されています。

ここまで当社が重んじられたのは、単なる葛城地方の一神社としてのみならず、大和国、あるいは日本全国における豊穣を司る神と見做されたことも考えられます。

現在では葛城地方においては高鴨神社や鴨都波神社などの陰に隠れて地味な神社となっていますが、古くは非常に厚く崇敬を受けて栄えた神社だったことが窺えます。

 

境内の様子

境内の北方約150mほどのところに真新しい一の鳥居が北向きに建っています。

一の鳥居の後方に見える山が神体山の「御歳山」。

 

葛木御歳神社

葛木御歳神社

一の鳥居から道をすすんでいくと二の鳥居が北向きに建っており、ここが境内入口となります。

 

二の鳥居の手前左側(東側)に手水舎があります。

 

二の鳥居をくぐり石段を上った様子。正面に社殿が北向きに並び、参拝時は夏場だったので社殿前に茅の輪が設置されていました。

当社は北向きである上に山の中腹に立地しているため、晴れた日の夏場でも境内はこのように日の光の射さない暗い空間となっています。

 

葛木御歳神社

葛木御歳神社

拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造。桁行三間・奥行二間の壁の無い開放的な建築です。

 

拝殿後方、石垣の上に中門と瑞垣が並び、その奥に本殿が、そしてその手前側に神明鳥居が建っています。

本殿は銅板葺の一間社春日造で全体的に朱塗りとなっています。江戸時代後期に春日大社の式年造替で払い下げられたものとされています。

 

本社拝殿の左側(東側)の基壇上に四社の境内社が西向きに並んでいます。社殿はいずれも同規格の銅板葺・春日見世棚造。

祀られているのは左側(北側)から次の通り。

  • 味鋤高彦根命神社
  • 高皇産命神社
  • 神皇産霊命神社
  • 天照皇大神神社

 

これら四社の境内社の右側(南側)に神饌所がありました。神饌所とは一般に神に供える神饌を調理する建物のことです。

境内に社務所が見当たらない一方で神饌所があるのは、『三代実録』に神主を置かないと記載されている当社らしい特徴と言えるかもしれません。

 

本社拝殿の右側(西側)にも同様に基壇上に四社の境内社が北向きに並んでいます。こちらも社殿は同規格の銅板葺・春日見世棚造。

祀られているのは左側(東側)から順に次の通り。

  • 事代主命神社
  • 天稚彦命神社
  • 稚日女命神社
  • 一言主命神社

 

境内の西側に境内社が東向きに鎮座しています。社名・祭神は不明ですが、当社ホームページから推測するに恐らく「祖霊社」でしょう。

社殿は銅板葺の春日見世棚造で、広い基壇の上に建ち、手前側には鳥居が建っています。

 

タマ姫
神主を置いたら祟りがあったの?なんか変わってるね!
そうね、珍しいわね。でも古くから朝廷からとても重視された神社だったみたいよ。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

葛木坐御歳神社

 

地図

奈良県御所市東持田

 

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