社号 | 御霊神社・落杣神社 |
読み | ごりょう・おちそま |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 奈良県五條市黒駒町 |
旧国郡 | 大和国宇智郡黒駒村 |
御祭神 | 井上内親王、大山祇命 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 10月23日 |
御霊神社の概要
奈良県五條市黒駒町に鎮座する神社です。「御霊神社」と式内社の「落杣神社」を相殿として祀っています。
「落杣神社」の創建・由緒は詳らかでありません。
当社は吉野川に突き出すような丘の北端に立地していますが、この丘の北東の崖下に巨岩があり、落杣神社はそれを磐座として祀っていたと伝えられています。
落杣神社は明治年間に丘の上に鎮座していた御霊神社の相殿として祀られることとなり、旧地である崖下の岩石には現在は「岩境大明神社」の小祠があるのみとなっています。
旧地の岩石のすぐ側に七世紀初めに築造された円墳の「黒駒古墳」があり、当社との関係性が考えられるかもしれません。
また、黒駒地区の西側に隣接して阪合部町があり、境界の画定に携わった氏族とされる坂合部氏が当地に居住していたことが考えられます。この岩石もまた境界、すなわち文字通り「磐境(いわさか)」であったとされていた可能性も考えられます。
しかしながら、落杣神社についての詳細は一切不明と言わざるを得ません。
一方の「御霊神社」は霊安寺町に鎮座する「御霊神社」から嘉禎四年(1238年)に勧請された神社です。
『続日本紀』によれば、光仁天皇の皇后である井上内親王は讒言により御子の他戸親王と共に宇智郡(五條市北部)に流罪となり、幽閉先で他戸親王と共に薨去したとあります。
これ以降に天変地異が頻りに発生し、これは井上内親王らの祟りであるとして恐れられ、いわゆる御霊信仰の一環として京都の「上御霊神社」で祀られた他、配流先であり薨去の地である宇智郡においても「霊安寺」(現在は廃寺)および「御霊神社」で祀られました。
その後宇智郡内ではこの御霊神社への信仰が非常に盛んになり、嘉禎四年(1238年)に当地の豪族である吉原氏と牧野氏の間で論争が発生し、これをきっかけに各地に勧請されることとなりました。この最初に勧請された11社の一つが当社です。
社伝によれば、当社の勧請の際、当初は吉野川の対岸の犬飼村へ勧請する予定だったものの、黒駒の落杣神社のあたりで御神体を載せた馬が動かなくなり、これはこの地で祀るべしとの神意であろうとして当地に祀られることとなったと伝えられています。
また現在は神像を御神体としていますがかつては箒が御神体だったと言われ、神籬として箒に神が宿ると考えられたことが推測されます。各地に妊婦の腹を箒で撫でると安産であるとする伝承があり、箒は神性を帯びた呪具としても信仰されるものです。当地でもそのような伝承があったのかもしれません。
現在の御祭神は「井上内親王」「大山祇命」の二柱です。前者は御霊神社、後者は落杣神社の御祭神のようです。
境内の様子
当社は吉野川の左岸側(南側)、北側へ突き出している丘の上に鎮座しており、崖や川を背にして立地しています。
境内入口の右側(東側)に「国御柱神」「天御柱神」が西向きに祀られています。国御柱神・天御柱神といえば「龍田大社」に祀られている神ですが、何故ここで祀られているのかは不明。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
参道を進んでいくと正面に朱塗りの両部鳥居が南向きに建っています。
二つの扁額が掲げられており、左は「御霊宮大明神」、右は「落杣神社」と揮毫されています。
鳥居の手前左側(西側)に手水舎があります。
鳥居をくぐると非常に広い空間になっており、まっすぐ伸びた石畳の先に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の平入切妻造に妻入入母屋造の向拝が設けられたもので、桁方向に異様に長い建築となっています。
拝殿前に配置されている狛犬。花崗岩製です。
拝殿後方に玉垣に囲まれて銅板葺の一間社流造の本殿が建っており、その手前側には朱鳥居が建っています。
本殿は朱などの極彩色が施されている他、壁には瑞鳥や龍などの絵が描かれており、豪華絢爛なものとなっています。
この本殿は延宝八年(1680年)の造営で、桃山様式も見られるもので、奈良県指定文化財となっています。
本殿の左側(西側)に三社、右側(東側)に四社の境内社が南向きに並んでいます。社名を示す札があるものの、写真からは読み取れずどれがどの神社であるかは不明。
社殿は左端の神社が銅板葺の流見世棚造である他は全て銅板葺の春日見世棚造です。
拝殿前の右側(東側)に三社の境内社が西向きに並んでいます。左側(北側)から次の神が祀られています。
- 「八幡大神」
- 「菅原大神」
- 「日吉大神」
社殿はいずれも銅板葺の春日見世棚造。
社殿の右側(東側)から崖下へ下りる石段があり、その下にある巨岩の傍らに「岩境大明神社」が東向きに鎮座しています
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
この地は落杣神社の旧地であると伝えられ、巨岩を磐座として祀っていたと考えられます。現在は落杣神社は御霊神社の相殿として祀られているものの、現在も「岩境大明神社」が小祠として祀られており、神の地であるとする信仰は失われていないようです。
岩境大明神社へと下りる道の途中に七世紀初めに築造されたと考えられる円墳「黒駒(くろま)古墳」があり、当地で産する結晶片岩を積み上げた横穴式石室が開口しています。
その構造から奈良盆地よりも紀ノ川下流域の影響の強い古墳と考えられてます。
墳丘は直径約10m、高さ約3m。それほど大きな古墳ではありませんが、当社の信仰に関わる人物の墓だったかもしれません。
案内板
五條市指定史跡 黒駒古墳
一方、境内から150mほど南方に「招魂社」が東向きに鎮座しています。
鳥居が建ち、玉垣に囲まれて銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
当社に属するものかは不明ですが、招魂社の左側(南側)に隣接して鐘楼が建っています。かつて神宮寺があったのでしょうか。
由緒
案内板
御霊神社・落杣神社縁起
地図
関係する寺社等
御霊神社 (奈良県五條市霊安寺町)
社号 御霊神社 読み ごりょう 通称 御霊本宮、御霊宮大明神、四所御霊大明神、宇智郡大宮、御霊さん 等 旧呼称 鎮座地 奈良県五條市霊安寺町 旧国郡 大和国宇智郡霊安寺村 御祭神 井上内親王、他戸親王 ...
続きを見る