社号 | 角宮神社 |
読み | すみのみや |
通称 | |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府長岡京市井ノ内南内畑 |
旧国郡 | 山城国乙訓郡井之内村 |
御祭神 | 火雷神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 5月1日 |
角宮神社の概要
京都府長岡京市井ノ内南内畑に鎮座しています。「向日神社」と並び、式内社「乙訓坐大雷神社」の論社となっています。『延喜式』神名帳には名神大社とあり、古くは非常に有力な神社だったようです。
社伝によれば、当社は継体天皇六年に詔により火雷神を鎮めて創建されたとされています。一方で当社の初見は『続日本紀』大宝二年(702年)の記事で、祈雨に験のあることから幣帛を奉る旨が記されています。これ以降、当社は度々国史に登場しており、特に祈雨に関しては朝廷から厚い崇敬を受けた様子が窺えます。
当社の由緒については『山城国風土記』逸文の次の記事に詳しく記されています。
『山城国風土記』逸文(大意)
(略)賀茂建角身命と夫婦になった丹波国の神である神伊可古夜日女は、玉依日子、玉依日売を生んだ。玉依日売が石川の瀬見の小川で遊んでいたところ、丹塗矢が川上から流れ下ってきた。これを取って寝床の辺に挿して置いていたところ懐妊して男子を生んだ。
やがて成人し、建角身命が八尋屋を造って酒を醸し神々を集めて宴会した際に、祖父である建角身命が「お前の父と思う者にこの酒を飲ませよ」と問うと、男子は盃を挙げ、屋根を貫いて天に昇った。これによって建角身命の名により男子は可茂別雷命と名付けられた。
丹塗矢は乙訓郡の社に坐す火雷神である。(略)
有名な丹塗矢の話です。玉依日売が丹塗矢を拾ったところ懐妊し、それによって生まれた男子は酒宴の席の一件で父が天に坐す神であることが判明します。即ち丹塗矢は火雷神であるというのです。
これによって生まれた子は賀茂別雷命として「賀茂別雷神社」の祭神、また母の玉依姫命および祖父の賀茂建角身命は「賀茂御祖神社」の祭神となっています。両社は京都盆地の一画を開発した賀茂氏の氏神を祀る神社であると共に、794年の平安京遷都以降は宮城の守護神として殊の外朝廷から崇敬を受けました。
当社が名神大社に列せられたのも、祈雨に定評のあったことに加えて賀茂別雷神社や賀茂御祖神社との関係によるものであることも考えられます。
一方で当社の丹塗矢の話は賀茂氏に伝えられたものというニュアンスではありません。恐らくは京都盆地で信仰されていた火雷神が賀茂氏による開発により結びついたものではないでしょうか。
京都盆地では夏になると丹波で発生した積乱雲が流れてきて雷雨をもたらします(俗に「丹波太郎」とも呼ばれる)。当地で暮らす人々にとっては殊に印象深い現象だったと思われます。
雷は時に人的な被害を出す一方で「稲妻」「稲光」といった言葉に代表されるように稲の実りを促すものとも考えられました。こうしたことから雷神は農耕神や豊饒神としての一面もあります。開発が進み稲作が大規模に行われるようになるとこうした一面が重んじられ、賀茂氏の神と結びついていったのかもしれません。
その一方で丹塗矢の話は秦氏の系譜や事蹟を記した『泰氏本系帳』にもほぼ同様の内容の記事があります。(詳細は「松尾大社」の記事を参照)その記事には鴨氏人は泰氏の婿であるという一文もあります。このことから賀茂氏と秦氏が深い関係にあり、強い連携で以て京都盆地を開拓したことが伺えます。
さて当社は平安時代以前は前述のように国家的に崇敬を受けましたが、中世に入ると承久の乱(1221年)により灰燼に帰し、文明十六年(1484年)になってようやく現在地に復興されたと伝えられています。旧地は現在地の西方にあったようですが、今はその痕跡は何も無いようです。
境内の様子
境内入口。住宅街の中ですが、当社境内はこんもりとした社叢で覆われており周囲と異質な空間となっています。
鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎があります。
正面に南向きの社殿が建っています。拝殿は京都では一般的な妻入りの舞殿風拝殿。
拝殿前の参道に注連縄の掛けられた岩があるのが非常に気になります。何か謂われがあるのでしょうか?
本殿は流造状の覆屋の中に納められています。一間社流造の本殿と春日造である境内社の春日社が鎮座しています。
本殿前の狛犬。砂岩製のようです。彫りが深くしっかりとした顔立ちです。
本殿の右側(東側)に境内社が並んで鎮座しています。左側のやや大きな祠は「八幡宮」で覆屋も独立しています。右側の覆屋には三棟の境内社があり、左から「大神宮」、「稲荷社」、「向日神社」と並んでいます。
境内東側から隣接する公園へ抜けられる通路がありますが、両脇に聳える木を注連柱として注連縄が掛けられており、魅力的でした。
境内東側にある社務所(?)に隣接するクスノキは長岡市の保存樹木となっており、これまた立派なものです。
境内の片隅には鳥居の残骸を利用した石組がオブジェとして置かれています。元は宝永五年(1708年)の鳥居でしたが、不慮の事故により倒壊したため、笠木を船、柱石を島に見立てて再デザインしたようです。
由緒
案内板
角宮神社
地図
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