社号 | 中臣印達神社 |
読み | なかとみいたて |
通称 | |
旧呼称 | 雑王権現、蔵王権現、十二所権現 等 |
鎮座地 | 兵庫県たつの市揖保町中臣 |
旧国郡 | 播磨国揖西郡中陳村 |
御祭神 | 五十猛命 |
社格 | 式内社、旧県社 |
例祭 | 10月10日 |
式内社
中臣印達神社の概要
兵庫県たつの市揖保町中臣に鎮座する神社です。式内社「中臣印達神社」の有力な論社であり、また式内社「阿波遲神社」を合祀しています。
『延喜式』神名帳には「中臣印達神社」は名神大社に列せられ、古くは有力な神社だったようです。
当社は宝亀元年(770年)六月十五日の創建と伝えられているものの、その他の由緒については詳らかでありません。
式内社「中臣印達神社」について、社名から推して天児屋根を祖とする有力氏族の中臣氏との関連が考えられると共に、イタテ神を祀っていたことが考えられます。
イタテ神に関して、『播磨国風土記』飾磨郡の因達(イタテ)里の記事に、息長帯比売命(=神功皇后)が朝鮮半島へ渡る際に船を先導した「伊太代(イタテ)之神」がこの地に坐したためこの神を里の名とした、と記しています。
この神が坐したという「因達里」とは現在の姫路市新在家本町にある八丈岩山付近に比定されており、この神を祀ったのが姫路市総社本町の「射楯兵主神社」もしくは姫路市辻井の「行矢射楯兵主神社」です。
『播磨国風土記』ではイタテ神について記されているのは飾磨郡のみで揖保郡には見えないものの、同神が揖保郡でも祀られていたのでしょう。
他国のイタテ神を見てみると、「伊達神社」を名乗る式内社が紀伊国名草郡(論社は和歌山市園部)、丹波国桑田郡(論社はそれぞれ京都府亀岡市余部町加塚、京都府亀岡市宇津根町東浦)、陸奧国色麻郡(論社は宮城県加美郡色麻町四竃)にあり、特に陸奧国色麻郡は郡名が飾磨と同じ「シカマ」であることから『播磨国風土記』に見える「伊太代之神」との関係が窺えます。
そして出雲国では「韓國伊大弖神社」を名乗る式内社が意宇郡に二社、出雲郡に二社記載されています(論社は『延喜式』神名帳出雲国の頁を参照)。
これらは全てスサノオの御子「五十猛(イタケル)命」を祀っており、「イタテ」と「イタケル」には密接な関連性があることが窺えます。当社の御祭神も古くは諸説あったものの現在は「五十猛命」となっています。
ただし『播磨国風土記』にはイタテ神がイタケルであるとは特に示されていません。
ただ、紀伊国名草郡の「伊達神社」(和歌山市園部)は「住吉大社」(大阪市住吉区住吉)に伝わる古文書『住吉大社神代記』に「志磨神社」(中之島地区に鎮座)、「静火神社」(和田地区に鎮座)と共に「船玉神」の本社であると記しています。
これは『播磨国風土記』において神功皇后の船を先導したとあることにも通じることで、イタテの神は船に関する神と信じられていたことが窺えます。
一方のイタケルは各地に種を蒔き国中を青山としたことが『日本書紀』に記され、こうした姿から木の神として信仰されています。
木は船の材料だったことから古くは木の神と船の神は一体だったとも考えられ、木の神であるイタケルが同時に船の神、すなわち「船玉」だったことも考えられるでしょう。(詳しくは「伊達神社」(和歌山市園部)の記事も参照)
なお、この神は中臣氏との関係性が見えないため直ちに中臣氏と結びつくとは考えにくく、仮に式内社「中臣印達神社」が中臣氏と関わるならば、何らかの理由で飾磨郡のイタテ神が揖保郡に勧請されて当地で力を持った祭祀氏族たる中臣氏が奉斎した、と考えることは可能かもしれません。
ただし当地で中臣氏が居住した痕跡はなく、中臣とはただの地名に過ぎないとする説も有力です。『倭名類聚抄』には揖保郡中臣郷が記載されており、中臣氏とは無関係にこの「中臣」の地に鎮座する「イタテ神」の意と解することも可能でしょう。
当地の地名「中臣」は「ナカジン」と読み、江戸時代以前は「中陳」「中陣」等と表記されていました。中臣(ナカトミ)の読みが転訛したものと考えられ、上記の揖保郡中臣郷は当地に比定されています。
故に当地に鎮座する当社は式内社「中臣印達神社」の有力な論社であるものの、林田町八幡の「林田八幡神社」、姫路市網干区宮内の「魚吹八幡神社」に比定する説もあります。
なお、播磨国の国内神名帳『播磨国内鎮守大小明神社記』には「中臣粒太神」の名で記載されています。
当社に関して、谷川健一編の『日本の神々』によれば、中世以降は真言密教系の神仏習合思想である両部神道の影響を受け、修験者が社務に関与し、背後の山上にあった十二所権現と称する木像を合祀し、社名も「十二所権現」「蔵王権現」等と称したようです。
明治十年(1877年)に「中臣印達神社」の社名に戻し現在に至っています。
また『播磨国風土記』揖保郡に見える「粒丘」は当社の鎮座する丘(中臣山)に比定されています。
『播磨国風土記』(大意)
揖保(イヒボ)里は粒(イヒボ)山のあることによって名付けた。
粒丘と名付けたのは次の通りである。
天日槍(アメノヒボコ)命が朝鮮半島から渡来した際に宇頭川(※現在の揖保川に比定)に至り、葦原志挙乎命(アシハラシコヲ=伊和大神)に宿を乞うたので志挙乎命は海中に宿ることを許した。
その時、客神(=天日槍命)は剣で海水を掻きまわしてこれに宿った。客神の猛々しい様子を見た志挙乎命は先に国を占めようと思い、巡り上って粒丘に至った。ここで食事をした際、口から米粒が落ちたので粒丘と名付けた。この丘に小さい石があり、粒によく似ている。
また、この地に杖を刺したところそこから水が湧き出て南北へ流れた。北に流れる水は冷たく南へ流れる水は温かい。
『播磨国風土記』では、特に西部地域の記事において、土着の神である伊和大神=葦原志挙乎命と外来の神である天日槍命との激しい抗争の様子が描かれていおり、揖保の語源説話となるこの記事はその発端を記したものとなります。
『日本の神々』によれば当社の鎮座地はまさに湧水地であり地形的に南北へ通じる位置にあるといい、『播磨国風土記』の描写に合致するものとなっているようです。
なお、当社は後述のように「阿波遲神社」を合祀し、また南西約500mほどの揖保上地区には「夜比良神社」が鎮座していることから、揖保郡の式内社七社の内三社がこの狭い範囲にあることになります。
阿波遲神社
「中臣印達神社」に合祀されている神社です。御祭神は「大鹿嶋神」「大香山戸臣神」。
当社の創建・由緒は詳らかでありません。上記二柱を祀るようになった所以もはっきりしません。
或いは淡路島と関係する、また和泉国和泉郡の式内社「淡路神社」(大阪府岸和田市摩湯町に鎮座)と関係する可能性も考えられるものの、やはりはっきりしません。
なお、『播磨国内鎮守大小明神社記』には「阿波手明神」、江戸時代の地誌『播磨鑑』等には「阿波庭神社」と記されています。
境内の様子
当社の鳥居は境内の南方600mほどの地に南向きに建っています。
道路に跨って建っているので自動車衝突防止のガードが設けられています。
鳥居をくぐって道を進んでいくと鬱蒼とした森に灯籠の並ぶ参道が伸び、ここが境内入口となります。
境内を進んだ先の境内の様子。
『播磨国風土記』に見える「粒丘(イヒボヲカ)」は当社の鎮座する丘「中臣山」に比定されており、境内にはこれを顕彰する石碑が建っています。
参道途中の左側(西側)に手水舎が建っています。
参道奥に石段が伸びており、その上の平らな空間に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は銅板葺の妻入入母屋造に唐破風の向拝の付いたもの。
拝殿前には注連柱が建っています。
拝殿前に配置されている狛犬。
拝殿後方、瑞垣に囲われて建つ本殿は銅板葺の二間社入母屋造に唐破風の向拝と千鳥破風の付いたもの。
本社拝殿の左側の玉垣で仕切られた区画に二社の境内社が南向きに鎮座。
これらの内、左側(西側)には「天満宮」(御祭神「菅原道真公」)が、右側(東側)には「木種(コダネ)神社」(御祭神「素戔嗚尊」)が鎮座しています。
社殿はいずれも本瓦葺の流見世棚造。木種神社の方が背の高いものとなっています。
案内板
天満宮
案内板
木種(こだね)神社
上記二社の左側(西側)に「薬司神社」が南向きに鎮座。御祭神は「少彦名命」。
「権現さん」とも呼ばれ、元は山上に鎮座していたといい、かつては「薬司堂」と呼ばれていました。
降魔・忿怒の相の極彩色の神像を祀っていると口伝されています。
社殿は桟瓦葺の妻入切妻造の拝殿と銅板葺の入母屋造に千鳥破風と向拝の付いた本殿で構成されています。
案内板
薬司神社(権現さん)
境内の南東隅には本瓦葺の平入入母屋造の舞台が建っており、内部には絵馬等も掲げられています。
西播磨ではこのような舞台を多く見かけることができます。
境内の隅には砲弾が飾られており、鳥居に掲げられていたであろう石造の扁額が立てかけられています。
周囲には瓦製の鬼瓦も配置しており、当社社殿がかつて瓦葺だったことを物語っています。
道を戻ります。
参道途中の右側(東側)に小さな池があり、その中の島に「厳島神社」が南向きに鎮座。御祭神は「市杵島姫命」。
「いぼ神さん」とも呼ばれ、いぼの治癒に霊験があると言われています。
朱塗りの神明鳥居が建ち、奥の石橋を渡ったところに銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。
案内板
厳島神社


由緒
案内板
中臣印達神社
地図
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