社号 | 公智神社 |
読み | くち/こうち |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王 等 |
鎮座地 | 兵庫県西宮市山口町下山口3丁目 |
旧国郡 | 摂津国有馬郡下山口村 |
御祭神 | 健速須佐之男命、久久能智神、奇稲田姫命 |
社格 | 式内社、旧県社 |
例祭 | 10月第2日曜日 |
公智神社の概要
兵庫県西宮市山口町下山口3丁目に鎮座する式内社です。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、社伝では孝元天皇の皇子・大彦命の子孫である「久々智氏」が木の神である「久久能智神」を祀って奉斎したとしています。
『新撰姓氏録』摂津国皇別に大彦命の後裔であるという「久々智」が登載されています。ただしこの氏族は現在の尼崎市久々知付近に居住していた可能性が高く(詳細は伊佐具神社、伊居太神社の記事を参照)、当地に久々智氏が居住していたとする証拠はありません。社名からの付会である可能性があります。
一方、当地について『摂津国風土記』逸文に次のような記事があります。
『摂津国風土記』逸文(大意)
久牟知川。これは山に因む名である。山はもと「功地」と名付けられていた。孝徳天皇の御代、有馬温泉へ行幸するために行宮を温泉に作った。この時、材木を久牟知山から伐採した。その材木は美麗であった。そこで天皇が「この山は功ある山だ」と言ったので功地山と名付けられた。人々は誤って久牟知山と呼ぶようになった。
久牟知川とは現在の有馬川のことで、有馬温泉の行宮の建材として伐採した材木が美麗であったことからその山を「功地山」と名付けたとあります。
当社は当初有馬川の対岸、現在の北六甲台の辺りに鎮座していたと伝えられ、その辺りが「功地山」だったと考えられています。
このように当社の旧地は良質な木材の産地だったことが窺われ、これらの木々の神として「久久能智神」を祀ったことは可能性として十分考えられます。『風土記』の伝える「功地山」の語源伝承もやや無理が感じられ、実際は久久能智が久牟知に訛ったものだったのかもしれません。
当社が現在地に遷座したのは堀川天皇の御代とされており、社伝では承徳元年(1097年)に大洪水があり有馬温泉が潰泉し、霊夢によって遷座したと伝えられています。
江戸時代以前には「牛頭天王」と呼ばれており、社伝では貞観年中に「健速須佐之男命」「奇稲田姫命」を配祀したと伝えています。貞観年間はまだ祇園信仰が広まっていない時期であり、これが事実ならかなり早い段階での勧請であると言えます。
時代が下り、明治の神仏分離によって再び牛頭天王は健速須佐之男命として祀られるようになったようです。
境内の様子
当社の鳥居は境内の東方30mほどの地に東向きに建っています。
鳥居をくぐり、社前を流れる西川を渡ると境内入口。入口には注連柱が建っています。
正面の石垣上に東向きの社殿が並んでいます。
拝殿はRC造で、銅板葺・平入入母屋造に千鳥破風と唐破風の向拝の付いたもの。白とベージュに塗られており西洋建築のような印象も受けます。
拝殿前の狛犬は比較的新しい花崗岩製。
後方の本殿は銅板葺の流造状の建築ですが、これは恐らく覆屋でしょう。
石碑に現在の本殿は文政十年(1827年)の改築とあり、その本殿が納められているものと思われます。
本社拝殿の右側(北側)に茅葺の妻入入母屋造の「神輿殿」が建っています。
かつて当社の本殿の右に釈迦堂が、左に観音堂が東向きに建っており、この内の釈迦堂が明治以降に神輿殿となったものと考えられています。
建築年代は明らかでないものの室町末期と考えられ、元々は宝形造だったと推測されています。貴重な建築として西宮市指定文化財となっています。
なお、現在はこの建物とは別に神輿殿が設けられており、現在はそちらに神輿を納めているようです。
案内板
西宮市指定文化財 建造物
公智神社神輿殿
神輿殿の奥、本社本殿の右側(北側)に多くの境内社が鎮座しています。
本社本殿のすぐ右隣(北側)に「八幡神社」が東向きに鎮座。
八幡神社の奥側(西側)、崖に沿って「祓稲荷」が東向きに鎮座。後述の祓所の守護神と思われます。
祓稲荷の傍らに小屋があり、「祓所」とされています。内部は水場となっています。ここで水垢離などをするのでしょうか。
八幡神社の右側(北側)に三社の祠が一つの覆屋に納められています。祠は左から順に「金刀比羅神社」「皇大神社」「恵比須神社」です。
三社の祠の右側に「塩津神社」が東向きに鎮座。御祭神は「塩土翁」「火々出見命」「豊玉姫命」。
当地付近はかつて竹籠の産地だったことから、記紀に竹籠の船を作ったとある塩土翁を祀る滋賀県長浜市の塩津神社から昭和二十七年(1952年)に勧請されました。
案内板
竹篭の神 塩津神社
神輿殿の右側(北側)に「天津神社」が南向きに鎮座。
ガラス張りの内部は五つの扉があり、それぞれの部屋に神が祀られています。祀られている神は左から順に「紙祖大神」「愛宕大神」「孝徳天皇」「伊都岐島大明神」「水速女命」です。
本社本殿の左側(南側)には「稲荷神社」が東向きに鎮座しています。
稲荷神社の左側(南側)に「神饌所」があります。神饌所とは一般に神前に供える神饌を用意するところですが、畿内では大きな神社以外で見かけるのはやや珍しいものです。
当社境内の250mほど東方に当社の社号標と灯籠が建っており、その左側(南側)に当社の御旅所があります。
お旅所には神輿台があると共に「孝徳天皇行在所址」と刻まれた石柱が建っています。『摂津国風土記』逸文にある孝徳天皇の有馬温泉の行宮はここであるとの伝承があるのでしょう。
当社の東方を流れる有馬川。『摂津国風土記』逸文には「久牟知川」として記されています。
御朱印
由緒
石碑
公智神社々歴
『摂津名所図会』
地図