社号 | 神岳神社 |
読み | かみおか |
通称 | |
旧呼称 | 牛頭天王 等 |
鎮座地 | 奈良県生駒郡斑鳩町神南4丁目 |
旧国郡 | 大和国平群郡神南村 |
御祭神 | 大己貴神、須佐之男神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月中旬土曜日 |
式内社
神岳神社の概要
奈良県生駒郡斑鳩町神南4丁目に鎮座する式内社です。
社伝によれば、聖徳太子が飛鳥より産土神をこの地に勧請し、太子の勅願所として祭祀されたと伝えられています。
聖徳太子が飛鳥より勧請した神が如何なる神であったかは不詳。
この伝承も聖徳太子に仮託して後世に付会されたものと思われ、当社の鎮座する「三室山」を神体山として神を祀った素朴な信仰が当社の始まりであると考えられます。
三室山は竜田川が大和川に流入する地点に聳える標高82mの小さな丘です。
当地の地名「神南」も現在は「じんなん」と読みますが、一説にこれは「神奈備(かむなび)」が転訛して「神南(かむなみ)」となり音読みとなったものとも言われています。
当社の西方、立野南地区に鎮座する「龍田大社」も背後の山を同様に「三室山」と称し、同社のすぐ南方に境外末社として「神南備神社」が鎮座しています。
『万葉集』に詠まれたいくつかの「神名備」およびそれとセットで詠まれる「磐瀬の杜」とは一般に龍田大社境外末社の「神南備神社」とされていますが、これを当社に求める説もあります。
「三室(みむろ)山」とは大神神社の鎮座する三輪山の別名である「御諸(みもろ)山」と同根であり、神の宿る山を指します。
大和川に沿って当社および龍田大社背後の二ヶ所に「三室山」があることになります。
大和川を奈良盆地における重要な交通路とした場合、水流の安寧や舟運の安全を司る神の鎮座すべき神がこうした山々だったのかもしれません。
中世以降は当社は牛頭天王を祀るようになり、明治の神仏分離により仏教的な神である牛頭天王から神道の神である「須佐之男神」へと祭神を変えて祀っているようです。
境内の様子
当社への道は複数あり、今回は集落のある三室山の南方から参拝します。
三室山の南方に当社の社号標があり、この道から参拝することができます。が、こちらの道は車道であり、当社の鳥居へは通じていません。
当社の鳥居へは先の道の一本東側にあるこの狭い道を通っていくことになります。
わかりにくい道ですが、徒歩での参拝ならこちらがオススメです。
この道を進んでいくと三室山のこんもりとした森の中に鳥居が建っているのが見えます。
石段の上に鳥居が南東向きに建っており、ここが当社の境内入口です。
鳥居の先は北東から南西にかけて広い空間となっています。
鳥居をくぐって左側(南側)に手水舎があります。
鳥居をくぐって右側(北東側)に社殿が南東向きに建っています。
拝殿は桟瓦葺の平入入母屋造で妻入切妻造の向拝の付いたもの。朱などの極彩色が施されています。
拝殿の前の空間は斜面が迫っていて非常に狭く、正面から写真を撮ることは困難です。
拝殿前の狛犬。砂岩製で目のくぼんだイカツイ表情。注連縄が掛けられています。
拝殿後方に笠木付きの朱塗りの神明造があり、その奥の斜面上に本殿が建っています。
本殿は銅板葺の一間社春日造で朱の施されたもの。文化財等には指定されていませんが江戸時代初期の建築と推定されています。
全体が塀で覆われており固く守られている印象。
本社拝殿の左側(南西側)に「稲荷神社」が南東向きに建っています。御祭神は「稲荷大神」。
ほんの小さな祠が覆屋に納められています。
境内の南西端には「市杵島神社」が南東向きに鎮座しています。御祭神は「弁財天神」。
社殿は銅板葺の春日見世棚造。
稲荷社と市杵島神社の間に絵馬殿が建っています。桟瓦葺の平入切妻造。
中には昭和後期から平成初期にかけての絵馬がびっしりと掲げられています。
南側から境内全体を見た様子。
奥の社殿の建っているところは狭い一方、手前側は広い空間になっています。
かつて神宮寺として神南寺観音堂があったと言われ、この辺りにあったのかもしれません。
三室山は散策道が整備されており、山頂には三室山と関係の深い「能因法師」の供養塔とされる五輪塔があります。
能因法師は平安時代中期の歌人で、神南集落の三室堂に住んでいたと伝えられています。
案内板
三室山と能因法師
由緒
案内板
延喜式内 神岳神社の由緒
地図