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恩智神社 (大阪府八尾市恩智中町)

社号恩智神社
読みおんぢ/おんじ/おんち
通称
旧呼称
鎮座地大阪府八尾市恩智中町
旧国郡河内国高安郡恩智村
御祭神大御食津彦大神、大御食津姫大神
社格式内社、旧府社、河内国二宮(?)
例祭8月1日、11月26日

 

恩智神社の概要

大阪府八尾市恩智中町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは非常に有力な神社でした。

時代を下っても有力な神社だったようで、河内国二宮ともされています。ただし中世以前に二宮とされた記録は無く、江戸時代頃からそう呼ばれ出したようです。

 

当社の御祭神は「大御食津彦大神」と「大御食津姫大神」の二柱です。

古くからこの二柱を祀っていたことは『文徳天皇実録』嘉祥三年(850年)十月七日条に「河内国恩智大御食津彦命神、恩智大御食津姫命神等並正三位」と、また『三代実録』貞観元年(859年)正月二十七日条に「河内国…正三位勳六等恩智大御食津比古命神、恩智大御食津比咩命神並従二位」と記されていることも確かめられます。

恐らく当地一帯が一大穀倉地帯であり、その作物の豊かな実りを祈って食物神を祀ったのが当社だったのでしょう。

『延喜式』臨時祭の祈雨神祭八十五座の中にも当社が含まれ、国史にも当社が祈雨の際に幣帛を受けたことが見えるため、古くは雨乞いの神としても朝廷から崇敬が厚かったことが窺えます。

作物の実りに必要な降雨についても当社の神が司っていたと信仰されていたのかもしれません。

 

当社の創建年代は詳らかでありませんが、社伝によれば、神功皇后の三韓征伐の際、当社の神が住吉大神と共に海路・陸路を案内し神功皇后に加勢した功により朝廷より高安郡の七郷を賜ったと伝えられています。

住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』にも当社の言及があり、また実際に江戸時代頃まで「住吉大社」への渡御があったと言われていることから、古くから「住吉大社」と関係の深かったことが示唆されます。

 

また社伝によれば中臣氏の祖神「天児屋根命」を「香取神宮」(千葉県香取市香取に鎮座)より当社に奉還して社を建立し、その後「枚岡神社」(東大阪市出雲井に鎮座)を経て奈良の「春日大社」へ遷ったので当社を「元春日」と言う、としています。

しかしながら「枚岡神社」では元からアメノコヤネを祀っていたとしており、また「香取神宮」において実際に祀られているのはアメノコヤネでなく「経津主大神」であることから、大きく矛盾を含む伝承となっています。

いつの頃からか「春日大社」の社家が当社の社家になったようで、上記の社伝は一説にこれに伴い中世以降に春日大社や枚岡神社の影響を受けて生まれた付会だとも言われています。

また当社の御祭神である「大御食津彦大神」「大御食津姫大神」をアメノコヤネ五世孫の「大御食津臣」と結びつける説も生まれたようです。

明治以前は当社が「春日大社」の猿楽を受け持っていたといい、近年まで「春日大社」と深い関係が続いていたのは確かと言えそうです。

 

当社は元々は現在地の西方750mほどにある「天王の森」と呼ばれる地に鎮座していました。

建武年間(1334年~1336年)に当社の社家であり当地豪族でもあった「恩智左近満一」なる人物が恩智城を築城する際、社殿より上に城があるのは不敬になるとして山腹の現在地に遷座したと伝えられています。

一般に神社は時代が下ると山上から麓の里へ遷る傾向があるので、麓から山腹へと遷座した当社はやや珍しい例と言えるかもしれません。(同様の例は奈良県橿原市大谷町の「畝火山口神社」など)

現在この「天王の森」は当社の御旅所・頓宮となっており、境外末社の「祇園社」が鎮座しています。

 

当社は古くは名神大社として朝廷の厚い崇敬を受けつつ多くの大社と関わりあい、様々な影響を受けながらも現在も河内国有数の神社として多くの人から崇敬を受けています。

非公式ながら河内国二宮の称も納得の立派な神社となっています。

 

境内の様子

一の鳥居は境内の西方約550m、国道170号(東高野街道)に面して西向きに建っており、前後に稚児柱の設けられた両部鳥居となっています。

 

一の鳥居から生駒山地の裾野の坂道を上っていくと境内入口となる石段が見えてきます。

当社は南北朝時代に現在地に遷座したと伝えられているものの、参道は歴史を感じる鬱蒼とした森となっています。

 

境内入口からの石段はかなり長く続いており、山の中腹と言えるような高低差があります。

 

石段を上りきると右側(南側)に手水舎があります。

当社の神使は兎とされているため兎の像が吐水となっています。

 

恩智神社

恩智神社

石段上の空間の正面に社殿が西向きに並んでいます。

拝殿は銅板葺の平入入母屋造で、千鳥破風と向拝の付いたもの。

由緒書には拝殿は江戸時代末期の建築と記されているものの、それほどの古さを感じさせません。改修されてるのでしょうか。

 

拝殿前には狛犬の代わりに神使である兎と龍の石像が配置されています。拝殿には兎と龍のかわいらしい置物も。

兎と龍が当社の神使とされるのは、当社で行われる卯辰祭によるものと思われます。

 

拝殿後方の空間には塀に囲まれて二棟の本殿が横に並んでおり、それぞれの前に中門(拝所)が設けられています。

本殿は屋根に反りのある妻入の切妻造、言うなれば庇の無い春日造のようなもので、珍しい形式です。

由緒書によればこれは「王子造」なる形式との由。(しかし由緒書には「流造の一種」とあるものの、実際には流造とは全く異なる構造である)

こちらも江戸時代末期に建て替えられたものとありますが、近くの石碑には明治二十年に改築したとありました。

 

中門の前の左右に花崗岩製の狛犬が配置されています。

 

当社は境内の北側に多くの境内社があります。

本社拝殿の左側(北側)に「春日社」が南向きに鎮座。御祭神は「天児屋根命」。

社伝では「香取神宮」から遷され、その後「枚岡神社」、「春日大社」へと遷されたと伝えており、「元春日」の呼称の由縁となる神社です。

ただしその内容は上述のように大きく矛盾を含むため疑問のあるものとなっています。

社殿は中門(拝所)と塀に囲まれて建ち、銅板葺の一間社春日造です。

 

春日社の右側(東側)隣接して森に埋もれるように「愛宕社」と「三輪社」が南向きに鎮座。

社殿は前者が銅板葺の流見世棚造、後者が銅板葺の春日見世棚造。

 

三輪社の右側(東側)、境内の北東奥には「六社」と呼ばれる六棟の境内社が一つの覆屋に納められて南向きに鎮座。

祀られているのは左側(西側)から順に次の通り。

  • 住吉神社」(御祭神「住吉大明神」/ 板葺の流見世棚造)
  • 安閑神社」(御祭神「安閑天皇」/ 板葺の春日見世棚造)
  • 熊野神社」(御祭神「熊野豫日命」/ 板葺の春日見世棚造)
  • 蛭子神社」(御祭神「事代主命」/ 板葺の流見世棚造)
  • 玉祖神社」(御祭神「櫛明玉命」/ 板葺の流見世棚造)
  • 天照大神社」(御祭神「天照皇大神」/ 板葺の春日見世棚造)

神立地区に鎮座する「玉祖神社」は創建の際当地で一旦留まったとも言われており、このために玉祖神社が祀られているものと思われます。

 

境内右側(南側)には「皇太神宮遥拝所」と「橿原神宮遥拝所」があります。

 

さらに境内の南東側から森の奥へ進む道があり、この先には「八大龍王」が鎮座。

朱鳥居が建ち、赤い瑞垣に囲まれて石碑として祀られています。

 

道を戻り、本社拝殿の右側(南側)には「祖霊社」が西向きに鎮座。

銅板葺・切妻造の拝殿が建ち、奥に銅板葺の妻入切妻造(本社本殿と同様の形式)の社殿が建っています。

 

さらに境内の南西側、石段を少し下ったところに「母木稲荷神社」が西向きに鎮座。御祭神は「倉稲彦大神」。

二基の鳥居が建ち、奥に銅板葺の流見世棚造の社殿が建っています。

 

境内の南西奥には「舟戸大神」を祀る立石があります。

舟戸とはクナト(岐)の意であり、恐らく道祖神的な神でしょう。

 

境内周辺の様子

当社付近は古い家屋や蔵も残っています。往時の賑わいの様子が目に浮かぶようです。

 

当社の一の鳥居からさらに西へ進んだところ、境内から西方750mほどの地にこのような空き地のような空間があります。

ここは当社の御旅所・頓宮となっており、当社の旧社地であると言われています。

建武年間に恩智左近公が恩智城を築城する際、社殿より上に城があるのは不敬になるとして山上の現在地に遷座したと伝えられています。

 

この空間の東端には「祇園社」が小ぢんまりと東向きに鎮座。御祭神は「素盞鳴命」。

玉垣に囲まれて鎮座しており、銅板葺・平入切妻造の覆屋の中に流造の社殿が納められています。

かつては「牛頭天王」を祀っていたことからこの地を「天王の森」とも称しますが、森と呼ぶには緑が乏しくいささか寂しい空間となっています。

一方この地は縄文時代~弥生時代の遺跡で、当地における人の営みの歴史を考えさせる地となっています。

石碑

恩智石器時代遺跡

 

タマ姫
今は結構高いところにあるけど、元々はもっと麓の方にあったんだね!
南北朝時代に城が築かれるにあたって、城より下に神社があるのは不敬だということで現在地に遷ったみたいね。
トヨ姫

 

御朱印

 

由緒

案内板

恩智神社

石碑

恩智神社

石碑

八尾市指定文化財

恩智神社卯辰祭供饌行事

由緒書

河内二之宮

恩智神社由緒略記

『河内名所図会』

 

地図

大阪府八尾市恩智中町

 

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