社号 | 中臣須牟地神社 |
読み | なかとみすむぢ |
通称 | |
旧呼称 | 住吉大明神 |
鎮座地 | 大阪府大阪市東住吉区住道矢田2丁目 |
旧国郡 | 河内国丹北郡住道村 |
御祭神 | 中臣須牟地神、神須牟地神、須牟地曽祢神、住吉大神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月12日 |
中臣須牟地神社の概要
大阪府大阪市東住吉区住道矢田2丁目に鎮座する式内社です。当地は江戸時代は河内国でしたが古くは摂津国に属していたようです。
『延喜式』神名帳の摂津国住吉郡に「須牟地」と付く神社が三社記載されてあり、当社はその内の一社で、かつ唯一の大社です。
住吉大社に伝わる古文書『住吉大社神代記』には「子神」として「中臣住道神」とあり、住吉大社と関係の深かったことが窺えます。
また同記によれば「須牟地曾禰神」や二つの記載のある「住道神」と併せて「件の住道神達は八前なり」とあり、恐らく当時スムチなる神は全て合わせると八柱あったものと思われます。
「スムチ(スムヂ)」とは、住吉津から東に延びていた古代の道である「磯歯津路(シハツミチ)」のことであると本居宣長が唱えて以来、この説が有力となっています。
『日本書紀』雄略天皇十四年正月条に、住吉津に到着した呉の賓客のために道を造り磯歯津路を通わせ呉坂と名付けたとあります。
また当社の東方に「喜連(きれ)」という地名がありますが、これは呉(くれ)が訛ったものだと言われており、先の記事を彷彿させるものとなっています。
この説に従うならば、スムチの神々はこの「磯歯津路」を守護する交通の神ということになるでしょう。
さらに『延喜式』玄蕃寮には、新羅の客が来朝した際にふるまう酒を醸すため畿内の八社から稲240束を住道社に送り、住道社で醸した酒を難波館でふるまうとする旨が記されています。
この「住道社」がスムチを名乗るいずれの神社であったかは不明(ただし当社であった可能性が高い。後述)ですが、いずれにしても「住道社」は海外からの来賓にふるまう酒を醸す重要な役目を与えられています。
スムチの神々が海外の賓客のために整備された磯歯津路の守護神であると共に、「住道社」が海外の賓客のために酒を醸したのであれば、スムチの神は海外との交渉において重要な役割を果たした神だったのかもしれません。
一方でシハツミチがスムチと訛るものなのか、一部の学者が説くように住吉(スミノエ)のスミに何らかの意味があるのならスムチもこれに関連してくるのではないか、等いくつかの疑問が残ります。
『新撰姓氏録』に伊奘諾命の子、素戔嗚命の後裔であるという「住道首」が記載されており、この氏族が関わっていた可能性もありますが、社名に「中臣」と付くことから祭祀は「中臣氏」が担っていたことが考えられます。
上述の『延喜式』玄蕃寮の項にも「中臣一人を派遣して酒を給う使いとする」旨の記載があり、このことから上述のように当該の「住道社」とは当社である可能性が高いと考えられます。
当社が他のスムチを名乗る神社と比べて高い社格に列せられているのも、有力な祭祀氏族である中臣氏が祭祀に関わっていたことと関係あるのかもしれません。
上記の『延喜式』玄蕃寮の項に加え、『延喜式』臨時祭の八十嶋祭には住吉神などと共に住道神二座が幣帛を受けていたことが記されており、スムチ神は古くは朝廷から非常に重視されていたようです。
このようなスムチ神を祀る大社だった当社も後世には衰微したようで、いつしか住吉大神を祀る神社となっていたようです。
とはいえ当社境内は比較的まとまった社叢を今も残しており、宅地化の進んだ現在においては貴重な緑の空間となっています。
境内の様子
当社境内は住宅や田畑に囲まれた長方形の区画になっており、どういうわけかその入り口は境内のやたら南西隅にあります。
入口には鳥居が南向きに建ち、その背後に見える森は非常に鬱蒼としています。
鳥居をくぐると参道はすぐに右側(東側)へ曲がり、道路と並行して進んでいくことに。
参道を進んでいくと社殿の建つ広い空間に至り、その入口となるところに手水舎が建っています。
この空間は先の参道から見て左側(北側)に大きく開けており、その奥に社殿が南向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺・平入入母屋造で、簡素ながらも威厳があります。
拝殿前に配置されている狛犬。やや古めかしい花崗岩製のもの。
拝殿後方に建つ本殿は他にちょっと類例が無いような変わったもので、幣殿と接続した妻入の切妻造といったところでしょうか。
幣殿部分と本殿部分の区切りがあまり明瞭でなく、幣殿に対して本殿部分が異様に小さいのが特徴。
もしかしたらこれは覆屋で、中にちゃんとした本殿が納められてるのかもしれません。
本殿の周りには塀の跡らしき残骸が廻らされています。
かつては立派な本殿が建っていたのでしょうか?
本社社殿の左側(西側)に「厳島社」が南向きに鎮座。
鳥居が建ち、その奥に銅板葺の一間社流造の社殿が建っています。
本社社殿の左奥(北西側)に「道祖社」が南向きに鎮座。
社殿は銅板葺の流見世棚造。
社殿の右奥(北東側)にあった謎の祠。
中に小動物系の石造物が納められてありました。比較的珍しいもののように思われます。
拝殿前に生えているクスノキには「楠社」が鎮座しており、根元に朱鳥居と簡易の拝殿が建ち、樹上に春日見世棚造の小さな祠が設けられています。
大阪市内ではこのようにクスノキに龍蛇の類が住まうとする信仰がよく見られます。
当社社殿の正面にも南向きの鳥居や注連柱などが建ち、入口としての体裁を整えていますが、こちらは何故か常時柵で閉められていて入ることができません。
参拝するには上述のように西側の入口から遠回りする必要があります。
社殿正面の鳥居の脇にある灯籠には「住吉大明神」と刻まれており、かつて住吉大神を祀る神社だったことが偲ばれます。


由緒
『河内名所図会』
地図
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