社号 | 賀茂御祖神社 |
読み | かもみおや |
通称 | 下鴨神社 |
旧呼称 | |
鎮座地 | 京都府京都市左京区下鴨泉川町 |
旧国郡 | 山城国愛宕郡下鴨村 |
御祭神 | 玉依姫命、賀茂建角身命 |
社格 | 式内社、山城国一宮、二十二社、旧官幣大社 |
例祭 | 5月15日 |
賀茂御祖神社の概要
京都府京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳に名神大社に列せられているのみならず、山城国一宮であり、また二十二社の上七社にも列せられているなど、国内でも有数の極めて格の高い神社です。「下鴨神社」の名で非常に有名で、現在でも多くの参拝客で賑わう神社です。
賀茂氏の氏神として「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」と対になる神社で、由緒も共通しています。詳しくは賀茂別雷神社の記事をご覧ください。
社伝によれば、崇神天皇七年に社殿の瑞垣が造営され、垂仁天皇二十七年に御神宝が奉られたと伝えられています。また綏靖天皇の頃から御生神事(現在の御蔭祭)が行われていたとも伝えられています。
その一方で、当社が賀茂別雷神社と同時に創建されたとは考えにくく、先に賀茂別雷神社が創建された後、当社が創建されたとも考えられています。その理由として、『山城国風土記』逸文には蓼倉里(当社に隣接する蓼倉町が遺称)に鎮座する三井社についての記述はあるものの、当社に関する記述が一切見えないことが挙げられます。
また、『続日本後記』承和十五年(848年)の条に、賀茂御祖神社の禰宜が天平勝宝二年に御戸代田一町を充てられて以降加増が無いため困っていると訴える記事があり、天平勝宝二年(750年)には当社が創建されていたことがわかります。
具体的な記録があるわけでないので不明ですが、以上のことから、風土記が編纂されて以降、恐らくは八世紀前半頃に当社が創建されたことが推測されます。
賀茂社が賀茂別雷神社と当社の二社体制になった理由は不明です。当初は京都盆地の北端あたりの、賀茂別雷神の降臨した神山の近くで賀茂別雷神社として奉斎していたところ、鴨川の治水と土地の開拓が進んだことで南方である当地へ進出したことが考えられるかもしれません。また当地は賀茂川と高野川の合流する地点であり、京都盆地において極めて重要な地であることも神の鎮座に相応しい地と見做されたことでしょう。また一説には賀茂祭(葵祭)があまりにも盛大になりすぎたため、これを抑制するために賀茂社を分けたという説もあります。
ただ、そうすると一つ不可解な点があります。社名にもあるように当社の御祭神は「祖神」、つまり賀茂別雷神からして祖父神にあたる「賀茂建角身命」と、母神にあたる「玉依姫命」を祀っています。『山城国風土記』逸文を見てもわかる通り賀茂社の創建は賀茂建角身命の活躍によるものです。賀茂建角身命は神武天皇の東遷において先導を務めた八咫烏でもあるとも言われ、極めて重要な神です。
そんな賀茂建角身命を差し置いて、当初から賀茂氏の氏神として祀られた賀茂別雷神社には孫神である賀茂別雷神を祀り、後に創建されたと思われる当社の方に賀茂建角身命と玉依姫命を祀っているのは不審です。
一般に任意の神社が近隣に関係社を新たに創建する場合、「若宮」などと称して元の神社の御子神を祀ることがよく見られます。この点からも新たに創建された神社に母神・祖父神を祀る当社はやや異例と言えるでしょう。
このような体制で祀られている理由は不明です。ただ、賀茂別雷神社と当社の関係が歴史的に「主従」でなくほぼ「対等」に併存してきたのは、当社が親神を祀ってきたからと言えるかもしれません。当社もまた賀茂別雷神社と共に皇室の崇敬が厚く、平安時代以降は内親王や女王が「斎王」として奉仕するなど破格の待遇を受けてきました。
現在も近隣住民の憩いの地であるとともに、国内のみならず世界中から多くの参拝客の訪れる有数の神社として栄えています。
境内の様子
当社の一の鳥居は境内の南方200mほどのところに建っています。練塀の側に建つ朱鳥居もまた趣があり、当社参拝に向けての高揚感を盛り立ててくれます。
境内入口。ここからは「糺の森」と呼ばれる森が広がっており、古くから歌の名所として知られています。ただ、一般に京都盆地では照葉樹林が極相となりますが、糺の森はどういうわけか落葉樹が多くなっており、極相ではありません。人手が加わっているか、もしくは土壌が森林の発達に良くないことが考えられるようです。
糺の森を貫く参道は500mほど続きます。参拝時はイベントが控えていたため、卵型のオブジェクトが左右に配置されていました。
参道の左側(西側)、糺の森の中央を流れる川は「瀬見の小川」と呼ばれています。瀬見の小川は『山城国風土記』逸文に登場する川で、鴨長明の歌にも登場します。(ただし『山城国風土記』逸文の「瀬見の小川」は桂川と鴨川の合流地点付近にある)。古くは現在とは違う流路だったようで、江戸時代に現在の流路になったようです。
案内板
糺の森と瀬見の小川
糺の森の参道を進んでいくと二の鳥居が見えてきます。
二の鳥居の手前に流れている小川は「奈良の小川」と呼ばれています。境内の発掘調査によって発見された流路を復元したものです。ナラノキの林を流れていることから奈良の小川と呼ばれるようですが、賀茂別雷神社に同名の小川があり、それに倣ったのかもしれません。
案内板
復元された古の小川「奈良の小川」
奈良の小川を渡った先の左側(東側)に手水舎があります。
案内板
御手洗(みたらし)-直澄(ただす)
正面には二の鳥居が建っています。ここからはいよいよ神域としての雰囲気が増してきます。
二の鳥居をくぐると正面に三間一戸の平入入母屋造の楼門が建っています。楼門の鮮やかな朱は広い境内の中でも特に強烈な印象を残すものであり、当社の象徴的な建物となっています。左右の廻廊とともに寛永五年(1628年)の建立で国指定重要文化財。左側(西側)の廻廊の一間は「剣の間」と呼ばれています。
案内板
楼門をくぐると社殿の配置される広い空間があります。社殿は基本的に素木となっており、朱の鮮やかな楼門と対照的に落ち着いたものとなっています。
正面に建つのは「舞殿」。妻入入母屋造の吹き放ちの建築で、一般的な京都の神社では拝殿に相当するものです。かつて御所の緊急の際は内侍所としても使用されるなど、極めて重要な建物でした。寛永五年(1628年)の建立で国指定重要文化財。
案内板
重要文化財
舞殿
舞殿の後方に中門があります。形式としては四脚門です。左右に楽屋があり、共に寛永五年(1628年)の建立で国指定重要文化財。
中門をくぐった正面に蕃塀があります。蕃塀とは社殿を隠すように設置される横に長い塀のことで、神の直視を避ける、悪霊や災厄を防ぐなど、障りを防ぐためのものとも言われています。東海地方では非常に多く見られますが、京都では珍しいものです。
蕃塀の後方に幣殿が建っています。平入入母屋造で軒唐破風の付いた建築です。参拝客はここで参拝することになっており、実質的にはここが拝殿的な機能を持っています。寛永五年(1628年)の建立で国指定重要文化財。
幣殿の後方に本殿が建っています。通常は拝観することができませんが、特別に公開されることもあります。
本殿は「玉依姫命」を祀る東殿と「賀茂建角身命」を祀る西殿が左右に並んでおり、ともに三間社流造です。文久三年(1862年)の建立で、国宝に指定されています。
幣殿の前には、蕃塀を取り囲むように七社の境内社が配されており、これらを総合して「言社(ことしゃ)」と呼ばれています。生まれの干支に対応した守護神として信仰されています。
上の写真の上段の二社は「一言社」で、蕃塀のすぐ裏側に互いを背にして鎮座しています。左側(西側)の御祭神は「顕国魂命」で午歳生まれの守護神。右側(東側)の御祭神は「大国魂命」で巳・未歳生まれの守護神です。
上の写真の中段の二社は「二言社」で、蕃塀の東側に並んで鎮座しています。左側(北側)の御祭神は「大物主命」で丑・亥歳生まれの守護神、右側(南側)の御祭神は「大国主命」で子歳生まれの守護神です。
上の写真の下段の三社は「三言社」で、蕃塀の西側に並んで鎮座しています。左側(南側)の御祭神は「八千矛命」で辰・申歳生まれの守護神、中央の御祭神は「大己貴命」で寅・戌歳生まれの守護神、右側(北側)の御祭神は「志固男命」で卯・酉歳生まれの守護神です。
先述の通り当社境内の森は落葉樹が多いため、秋には美しい紅葉を楽しむことが出来ます。朱の鳥居に覆いかぶさる紅葉は息をのむほどの美しさです。
お知らせ
当社は境内社が多いため、河合神社およびその他の境内社は別記事にて紹介しています。
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御朱印・御朱印帳
由緒
案内板
賀茂御祖神社(下鴨神社)
案内板
史跡 賀茂御祖神社境内
案内板
賀茂御祖神社由緒記
『都名所図会』
地図
関係する寺社等
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