社号 | 河合神社 |
読み | かわい |
通称 | |
旧呼称 | 河合社(ただすのやしろ) 等 |
鎮座地 | 京都府京都市左京区下鴨泉川町 |
旧国郡 | 山城国愛宕郡下鴨村 |
御祭神 | 玉依姫命 |
社格 | 式内社、賀茂御祖神社摂社 |
例祭 | 11月15日 |
河合神社の概要
京都府京都市左京区下鴨泉川町に鎮座する賀茂御祖神社の境内南西に鎮座する式内社です。『延喜式』神名帳には名神大社に列せられ、古くは有力な神社でした。現在は賀茂御祖神社の境内社の中で最も重んじられる第一摂社となっています。また、鴨長明の遁世のきっかけとなった神社としても有名です。
当社の創建・由緒は不明ですが、神武天皇の頃の創建と言われています。
当社の御祭神の「玉依姫命」は、どういうわけか賀茂御祖神社の御祭神であり賀茂建角身命の娘である玉依姫命ではなく、神武天皇の母神であり鸕鶿草葺不合尊の后である玉依姫命であるとされています。皇室の祖神の一柱ですが、一方で賀茂氏とは縁の遠い神であると言えます。
賀茂別雷神社の第一摂社である片山御子神社も賀茂建角身命の娘である玉依姫命でなく、神の霊の依り憑く巫女を神格化した神としての「玉依比売命」を祀っていることと、どこか通じるような様相となっています。
ただ、古い資料に当社について「御祖別雷両神苗裔神」とする記述もあり、御祭神については諸説あるようです。
社名の「河合」とは賀茂川と高野川の合流する地に祀られるからと考えられますが、古くは河合と書いて「タダス」と呼び、糺の森の中に鎮座することをも指していたようです。
『延喜式』神名帳では「鴨川合坐小社宅神社」の名で記載されています。小社宅の読みは諸説あり、大凡「オコソヤケ」もしくは「コソベ」と呼ばれています。近隣では摂津国島上郡(現在の大阪府高槻市)に古曽部の地名があることが目立ちますが、コソとは社、森などを表す語で、朝鮮由来の語とも言われています。神を祀るべき森に神を祀った祭祀氏族を部民制に組み込みコソベと称したことが考えられるかもしれません。
一方で「宅」の字を重んじて屋敷神と解し、賀茂県主家の邸宅に祀られた神であるとする説もあります。
現在では女神を祀ることから女性の守護神として崇敬が厚く、特に近年始められた「鏡絵馬」などは好評のようで、女性の参拝客で四六時中賑わう神社となっています。その賑やかさは本社である賀茂御祖神社を凌ぐ勢いを感じられるほどです。
境内の様子
当社の入口。賀茂御祖神社の糺の森を入ってすぐ左側(西側)に当社の朱鳥居が建っています。奥側にも入口があることがわかります。
鳥居をくぐってすぐ左側(南側)に手水舎があります。
鳥居をくぐって進むと右側(北側)に神門が建っています。形式は四脚門。当社の社殿は文化財指定はされていませんが延宝七年(1699年)に修造したものです。
神門をくぐると南向きの社殿が並んでいます。正面には妻入入母屋造の舞殿風の拝殿が建っています。拝殿を囲うように吊り下げられている吊り灯籠がアクセントとなって美しい出で立ちです。
舞殿風拝殿の後方にはもう一つ拝殿が建っています。こちらの拝殿は平入入母屋造で軒唐破風が付いた一般的なものです。
角度の問題で写真に撮るのは難しいですが、後方には三間社流造の本殿が建っています。
拝殿の左右には廻廊が伸び、左側(西側)の廻廊は境内社である貴布禰神社と任部社の拝所となっています。
当社本殿のすぐ左側(西側)に鎮座する「貴布禰神社」。御祭神は「高龗神」。古くから当社の境内社だったようです。
賀茂社、特に賀茂別雷神社と貴船神社は歴史的に深い関係があり、賀茂別雷神社にも本社の東側に新宮神社(貴布祢新社)が鎮座しています。賀茂御祖神社でも恐らく貴船神社から勧請され当社の境内社となったのでしょう。
案内板
重要文化財申請社殿
貴布禰神社
貴布禰神社の左側(西側)に鎮座する「任部社(とうべのやしろ)」。古くは「専女社(とうめのやしろ)」と称したようです。御祭神は「八咫烏命」。こちらも当社創建のときより祀られている古い神社と言われています。
専女とは年老いた女性、或いは年老いた狐のこととされています。食物神として祀られているようで、賀茂御祖神社本社にも古名を専女社とする稲荷社が境内に鎮座しています。
安元元年(1157年)に「小烏社」と合祀されたことが『百練抄』に見え、現在の御祭神が八咫烏命であるのもこのためであると思われます。
案内板
重要文化財申請社殿
任部社(とうべのやしろ)[古名 専女社(とうめのやしろ)]
舞殿風拝殿の左側(西側)に「六社」と呼ばれる六つの神社の相殿の社殿が建っています。ここに祀られている神社は左(南側)から次の通り。
由木社(御祭神「少彦名神」)
印社(御祭神「霊璽」)
竈神(御祭神「奥津日子神」「奥津比賣神」)
稲荷社(御祭神「宇迦之御魂神」)
衢社(御祭神「八衢毘古神」「八衢比賣神」)
諏訪社(御祭神「建御方神」)
元々は別々に祀られていたのを江戸時代に一棟にまとめられたようです。なお、諏訪社は式内社「須波神社」の論社の一つとなっています。
式内社
案内板
重要文化財申請社殿
六社(むつのやしろ)
舞殿風拝殿の右側(東側)は鴨長明が隠遁生活で営んだ「方丈」を再現したものがあり、内部は資料館となっています。
鴨長明は賀茂御祖神社の禰宜の家系に生まれ、当社の禰宜として就くことを望みましたが叶わず、俗世間を逃れ遁世の道を歩むことになります。このように当社と鴨長明は深い関係がありました。
案内板
鴨長明
当社では御祭神が女神であることに因み、近年「鏡絵馬」というものが奉納されるようになりました。女性が普段使用している化粧品で絵馬を「メイク」し奉納することで祈願するもので、現在これは大変好評を博しているようです。これを奉納するために全国から絶え間なく多くの女性が訪れ、本社以上の賑わいすら感じられるほどです。
当社の神門の南側に、北向きに「三井社」が鎮座しています。別名を「三塚社」とも呼びます。御祭神は左(東側)から「玉依媛賣命」「賀茂建角身命」「伊賀古夜日賣命」です。
本社境内社の三井神社と同じ社名であり、同じ神が祀られています。案内板は『山城国風土記』逸文の「蓼倉里三身社」とは別であると書いていますが、式内社「三井神社」の論社の一つとなっています。
案内板
重要文化財申請社殿
三井社[別名 三塚社]
賀茂御祖神社の南方、賀茂川と高野川が合流する地。当社の社名「河合」とは恐らくこの地形を指していたのでしょう。


由緒
案内板
第一摂社
河合神社
地図
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