社号 | 金山彦神社 |
読み | かなやまひこ |
通称 | |
旧呼称 | 八大金剛童子社、山王権現 等 |
鎮座地 | 大阪府柏原市青谷 |
旧国郡 | 河内国大県郡青谷 |
御祭神 | 金山毘古神 |
社格 | 式内社、旧村社 |
例祭 | 10月25日 |
式内社
金山彦神社の概要
大阪府柏原市青谷に鎮座する式内社です。雁多尾畑地区の「金山媛神社」と対になる神社です。
当社の鎮座する青谷地区は、大和川の流れる麓から生駒山地の南端をやや登ったところにある山間の集落です。
当社の創建や由緒は詳らかでありませんが、当社や「金山媛神社」の周辺は鉄滓(製鉄の際に生成される不純物)が採取されるといい、かつて当地付近で古く製鉄が行われていたことが推定されています。
当社や「金山媛神社」はこうした古代において製鉄に従事した集団が金属神を祀ったものと考えられます。
また社伝によれば当初は「嶽山」の嶺に鎮座していたのが中世に現在地に遷ったと伝えています。この「嶽山」とは近隣の山のようですが、具体的にどこを指すのかははっきりしません。
雁多尾畑地区の高地には「御座峰」と呼ばれる「龍田大社」(奈良県三郷町立野南に鎮座)所縁の地があり、古く製鉄には火を熾すために風が必要であったことから、当社を奉斎していた製鉄集団は風神を祀る「龍田大社」の祭祀にも関わっていたのかもしれません。
さらに当地の西側、高尾山の麓の大県地区には「鐸比古鐸比賣神社」があり、また高井田地区に鎮座する「天湯川田神社」を奉斎した「鳥取氏」も製鉄に携わっていたとする説があり、当社を含め旧・大県郡には製鉄に関する神社が多く分布しています。
境内の様子
大和川の流れる麓から少し山を登ったところにある集落、青谷地区に当社は鎮座しており、境内は青谷大池の東側に隣接しています。
南側に鳥居が南向きに建っており、これをくぐると広い境内となっており緑に囲まれています。
鳥居をくぐって右側(東側)に手水舎があります。
境内を進んでいくと奥にある石垣の上に社殿が南西向きに並んでいます。
拝殿は本瓦葺・平入入母屋造りで割拝殿となっています。屋根が低く安定感のある印象。
拝殿前の狛犬。花崗岩製の真新しいもので、たてがみが立派です。
奥の空間へは入ることが出来ず、本殿は拝殿からわずかに中門越しに窺えるのみです。
恐らく銅板葺の一間社春日造のようです。
当社では1998年に古代の製鉄実験と刀鍛冶の実演が行われ、27kgの鉄を得ることができたようです。
拝殿にはその時に使ったたたら炉の跡が展示されています。
社殿の右側(東側)には二社の境内社が同じ覆屋の中に南西向きに鎮座しています。左側(北西側)は「廣光稲荷大明神」、右側(南東側)は「龍王神社」。
龍王神社は「じょうさん」とも呼ばれているようです。
社殿はいずれも銅板葺の一間社流造。
当社の鎮座する青谷地区は、生駒山地の南端から信貴山方面へ登る途中にある山間集落です。
多くの民家が斜面にへばりつくように建っているのを見ると、こんなところによく集落を作ったものだと思わされますが、実はまだ序の口。
ここからまだまだ山の上の方に雁多尾畑、本堂といった集落があるのです。
見るからに農耕に不向きな土地のように思えますが、古代の竜田道に沿っているとしても、どうしてこのような集落が形成されたのか不思議に思えます。
青谷地区には室町時代末期の磨崖仏が祀られています。河内と大和を結ぶ道として往来する人を見守ってきたことでしょう。
案内板
磨崖 地蔵菩薩立像
由緒
案内板
金山彦神社略記
案内板
古代たたらの復元
『河内名所図会』
地図
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