社号 | 木葉神社 |
読み | このは |
通称 | |
旧呼称 | 川股八王子、富士権現 等 |
鎮座地 | 奈良県橿原市雲梯町 |
旧国郡 | 大和国高市郡雲梯村 |
御祭神 | 木花開耶姫命 |
社格 | 式内社 |
例祭 | 8月15日 |
木葉神社の概要
奈良県橿原市雲梯町に鎮座する神社です。式内社「川俣神社」は当社に比定されています。
当社の創建・由緒は詳らかでありませんが、「川俣氏」が当地に居住し祖を祀ったことが考えられます。
『新撰姓氏録』には次の氏族が登載されています。
- 大和国皇別「川俣公」(日下部宿祢同祖 / 彦坐命の後)
- 河内国皇別「川俣公」(日下部宿祢同祖 / 彦坐命の後)
この内、大和国に居住した川俣公が彦坐命はじめ三柱の祖神を祀ったのが当社だったと推測されます。
なお、大阪府東大阪市川俣本町にも式内社の「川俣神社」が鎮座しており、こちらは河内国に居住した川俣公が祖を祀ったものである可能性があります。(ただし別氏族の「川跨氏」とする説もあり)
一方、室町時代の文書『和州五郡神社神名帳大略注解』(通称『五郡神社記』)によれば、式内社「川俣神社」について次のように記しています。
- 加美郷川俣村石川俣合にある。
- 社家の説いて言うには、御祭神は「活津彦根命」「熯之速日命」「熊野忍蹈命」である。
- 古伝によれば、崇神天皇の御代、彦坐命に卜定により神殿を石川俣(飛鳥川と細谷川の合流地)に造営し、「天之穂日命」「天津彦根命」「活津彦根命」「熯之速日命」「熊野忍蹈命」の五神を祀って天川俣神社と名付け、彦坐命を祝部として川俣公の氏姓を負い、任氏(?)の子孫が奉仕した。
- その後雄略天皇の御代、霊夢によって少子部蜾臝(チイサコベノスガル)に詔して「天之穂日命」「天津彦根命」を十市郡の子部村に遷して祀り、残る三神は当地に留めて祭祀した。これが川俣神社である。
『五郡神社記』は式内社「川俣神社」の鎮座する「石川俣」とは飛鳥川と細谷川の合流地と記しています。
これは現在の明日香村栢森にあたり、そこには「加夜奈留美命神社」が鎮座しています。ただ式内社「川俣神社」を「加夜奈留美命神社」に比定する説は現在のところ無さそうです。
一方で細谷川を「細川」と解釈し、明日香村細川を流れる「冬野川」こそが細谷川であるとして、飛鳥川と冬野川の合流する明日香村祝戸付近とする説もあります。地名からしても神の祭祀が行われたと推測され、また「飛鳥坐神社」の旧地をこの辺りに求める説もありますが、現在は特に神社は所在していません。
いずれにしても当社とはかなり離れた地に鎮座していたことになります。
また『五郡神社記』によれば御祭神は当初は五柱で、奉斎氏族こそ川俣氏であるものの、川俣氏とは無関係の神々を祀っていたことになります。これらの神々はアマテラスとスサノオの誓約の段に関わるもので、史料により異同があるものの『日本書紀』一書3でアマテラスの持物をスサノオが口に含んで生まれた六柱の内、アメノオシホミミを除く五柱となっています。
その後霊夢によりその内の二柱が十市郡の子部へ遷したとあり、式内社「子部神社」の二座(論社は飯高町の東側と西側の二社がある)であることを示唆しています。
そして残る三柱を引き続き祀ったのが式内社「川俣神社」であるとしています。
その一方で江戸時代中期の地誌『大和志』は式内社「川俣神社」を雲梯村にあった当時「川股八王子」と呼ばれていた神社に比定しています。
当地の小字は「初穂寺」と称するらしく、これは「八王子」が転訛したものとされ、「川股八王子」とは当社のこととされています。
雲梯地区には当社とは別に「河俣神社」(当地の北東約200m)が鎮座しており、社名からしてもそちらが式内社「川俣神社」であるとする説があるものの、一般的にはそちらは式内社「高市御縣坐鴨事代主神社」の論社となっています。
『五郡神社記』の記述とは全く離れた地ですが、当地には「川俣 / 川股 / 河俣」の地名が残っており有力な根拠となっています。
かつては雲梯地区の南方で曽我川から古川という川が分流し、集落の西方を流れていたともされ、この分流を「川俣」と称したことが考えられます。
この地に彦坐命あるいはその子孫が居住し川俣の氏を名乗ったことは十分に考えられ、『五郡神社記』とは大きく矛盾するものの当地の神社が式内社であることもまた説得力あるものとなっています。
なお当社は「富士権現」とも呼ばれたようで、中世以降に建立された僧房の鎮守社として「木花開耶姫」が勧請されたと言われ、現在の社名「木葉神社」もこれに因んでいます。
その僧房は消滅していますが、当社では現在も引き続き「木花開耶姫」が祀られています。式内社「川俣神社」の当初の神とは到底考えられず、たとえ当地に式内社「川俣神社」があったとしても、祭祀が継承されているかは怪しいのが実情でしょう。
境内の様子
当社は雲梯町の集落の南方、曽我川の左岸側の住宅に囲まれた小さな森に鎮座しています。
森の東側に神明鳥居が東向きに建っており境内入口となっています。
鳥居をくぐってすぐ右側(北側)に手水舎が建ち、小さな手水鉢が置かれています。導水施設は無いものの、すぐ隣に隣接して蛇口が設置されています。
鳥居をくぐった様子。境内はかなり狭いものの社叢は鬱蒼としており、日の長い時期の日中でも非常に暗い境内となっています。
奥に建つ社殿までまっすぐにコンクリート敷の参道が伸びています。
社殿は東向きに並んでいます。
拝殿は桟瓦葺の平入切妻造で、銅板葺の小さな向拝状の庇が付いています。
拝殿後方に建つ本殿は完全に塀で囲われており外から窺うことはできません。
拝殿拝所の扉越しに銅板葺の春日見世棚造の朱塗りの本殿が見えます。
当社境内の森を外から見た様子。狭い境内ですが木々が非常に鬱蒼としておりかなり立派な社叢を形成しています。


地図
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