社号 | 高津宮 |
読み | こうづぐう |
通称 | |
旧呼称 | 高津社 等 |
鎮座地 | 大阪府大阪市中央区高津1丁目 |
旧国郡 | 摂津国西成郡西高津村 |
御祭神 | 仁徳天皇 |
社格 | 旧府社、別表神社 |
例祭 | 7月18日 |
高津宮の概要
大阪府大阪市中央区高津1丁目に鎮座する神社です。
JR大阪環状線の内側に鎮座する神社としては、「生國魂神社」「坐摩神社」「大阪天満宮」と並び規模の大きな神社です。「生國魂神社」は千日前通を挟んですぐ南側に鎮座しています。
社伝によれば、当社の創建は貞観八年(866年)、清和天皇の勅命により「仁徳天皇」の皇居「難波高津宮」の遺跡が探索され、その地に「仁徳天皇」を祀ったことによるとされています。
当時の社地は現在地より北、現在の大阪城付近にあったとされており(具体的な地は不明)、豊臣秀吉の大阪城築城の際、「比売古曽社」(現在は摂社)の鎮座地である現在地に遷座したと伝えられています。
当社の御祭神である「仁徳天皇」は大阪の人々に殊に崇敬されている人物です。
難波の地を皇居とした大阪ゆかりの人物であることに加え、民家の煙が立っていない様子から民の窮乏を察知し諸税の取り立てをやめて救済した逸話に見られるように、庶民の味方に立った名君と見なされたことも大きいでしょう。
ただ、仁徳天皇の皇居「難波高津宮」は現在に至るまで発見されておらず、何を以て当社創建の地が決定されたのかは定かでありません。
なお、現在法円坂1丁目にある「難波京跡」は孝徳天皇の皇居「難波長柄豊崎宮」および聖武天皇の御代の副都「難波京」の遺跡であり、仁徳天皇の「難波高津宮」とは無関係なので注意。
「仁徳天皇」を祀る当社は現在地に遷って以降庶民信仰の神社となり、「生國魂神社」と同様に大阪の町民の信仰を集めました。
上町台地の上に立地する当社は、今でこそビルが建ち並んでいますが、かつては眺めが良く大坂の市中を一望できたといい、茶店も並んでいたと言われています。まさに大坂町民の憩いの空間だったと言えるでしょう。
時代を経て景色が様変わりした今も大阪の人々に親しまれていることは変わらず、境内に多くのサクラが植えられ絶好の花見スポットとしても人気となっています。
なお、当社の遷座前に当地に鎮座し、現在当社の摂社として鎮座する「比売古曽神社」は摂津国東生郡の式内社「比賣許曾神社」であるとする説もあります。
境内の様子
境内入口。アパートに挟まれて南向きの鳥居が建っています。
境内は一見狭そうに見えますが、鰻の寝床のように広い奥行きがあります。
鳥居をくぐった様子。参道は桜並木となっており、花の咲く頃は美しい景色を楽しむことができます。
参道途中に架かる「梅乃橋」は1768年に奉納されたもの。かつて当地一帯は梅の名所だったといい、これが橋の名の由来となっています。
案内板
梅乃橋
参道奥の石段を上っていくと社殿の建つ空間となります。
石段を上りきった左手(西側)に手水舎が建っています。
石段上の正面奥にRC造の社殿が南向きに並んでおり、石畳が社殿前まで敷かれています。
拝殿は複雑な形式で、平入切妻造を基調に千鳥破風と唐破風の向拝が付き、さらに平入切妻造の屋根が重ねられています。堅牢な社殿ですが不思議と桜の花とよく合っています。
拝殿前に配置されている狛犬は銅製となっています。
本殿は見えにくいですが幣殿と接続した平入入母屋造のようです。入母屋造の本殿は畿内ではやや珍しいもの。
社殿の左側(西側)は桜の美しい広々とした空間が広がっています。
上町台地の崖の上となる境内左側(西側)の端に絵馬殿が建っており、かつて江戸時代に大坂の市中を眺め渡せたことが偲ばれるものとなっています。
当時は遠眼鏡屋なる商いがあり、望遠鏡を貸与して大坂の街を案内していたと言われています。
しかし現在はビルやマンションが建ち並び全く展望が利きません。
案内板
高津宮絵馬殿
境内左奥(北西)の出入口は上町台地の断崖の坂となっていて「西坂」と呼ばれています。
明治初期まで坂が三行半となっており、かつて離縁状を三行半で書いたことから悪縁を絶つ坂として密かに知られていたようです。
西坂の隣に建つ神輿庫は境内で最も古い宝暦年間(1751年~1764年)の建築で、唯一戦災を免れて現存しているものです。
その脇に建つ仁徳天皇の徳を讃えた「高台之頌碑」も安永元年(1772年)に建立されたものです。
案内板
高台之頌碑(たかきやのしょうひ)
神輿庫の右隣(東側)に「比売古曽神社」が南向きに鎮座。御祭神は「下照姫命」。
鳥居が建ち、その奥に銅板葺の妻入切妻造(住吉造?)の社殿が建っています。
当地はかつてこの神社の社地だったとされており、式内社「比賣許曾神社」を当社に比定する説もあります。
案内板
比売古曽神社
本社社殿左脇(西側)に「郡戸王子推定地」と刻まれた石碑が建っており、熊野古道に設けられた九十九王子の三番目の神社がここにあったとする説があります。
郡戸と高津が通じるとする説もあるようですが音韻上やや厳しく、郡戸王子が当地にあった根拠は乏しいのが現状です。
石碑
郡戸王子と高津宮
本社本殿の裏側は「仁徳庭園」として美しく整備されています。
本社社殿の右側(東側)に回ると「高倉稲荷神社」が南向きに鎮座。御祭神は「宇賀御魂命」。
三基の朱鳥居が並び、銅板葺・平入入母屋造りに大きな唐破風の付いた社殿が建っています。
この社殿はいわゆる「凸型拝殿」で、後方に本殿部分が接続しています。
また、社殿前に設けられた柵にミニチュアの鳥居が多数掛けられているのが特徴。
さらに右側(東側)に「安井稲荷神社」が西向きに鎮座。御祭神は同じく「宇賀御魂命」。こちらは安産の神として信仰されているようです。
朱鳥居が建ち、銅板葺・平入切妻造の吹き放ちの拝殿と、その奥に銅板葺・一間社春日造の朱塗りの本殿が並んでいます。
安井稲荷神社の左側(北側)、境内の右奥(北東)の一角はこれまた断崖となっていて、土地の低い空間となっています。
急な下り坂なので足元に注意しなければなりません。
右奥の空間の最奥部には三社を併せ祀っている「谷末社」が南向きに鎮座。
手前側に鳥居が建ち、奥には銅板葺の三間社流見世棚造の朱塗りの社殿が建っています。
当社に祀られている三社は左側からそれぞれ次の神社となっています。
- 「白菊社」(御祭神「草野姫神」(野の神))
- 「千年社」(御祭神「大市姫神」(市場を主宰する神))
- 「常高社」(御祭神「大山祇命」(山の神))
この空間の断崖は小さな鳥居や祠、岩石などが配置され、不思議な世界に迷い込んだかのような、いかにも妖しい雰囲気を醸し出しています。
断崖の上には大阪では珍しい「陰陽石」があり、左の写真が「陽石」、右の写真が「陰石」となります。
陽石にも穴がある一方、陰石も細長く、両方ともに男根とも女陰ともとれる神妙な形をしています。
子孫繁栄、豊穣祈願だけでなく、商売繁盛の神としても祈願されているようです。
春爛漫の「高津宮」。参道にある広場はお花見会場となって賑やかな時間が流れていました。
御朱印
由緒
案内板
高津宮
『摂津名所図会』
地図
最寄り駅
大阪メトロ「谷町九丁目」駅
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